『春にして君を離れ』

                     

 

アガサ・クリスティー著 中村妙子訳 ハヤカワ文庫 1973年
(原作は1944年)

 

 1930年代、中東のイラクはイギリスの植民地だった。中産階級以上のイギリス人にとって、イラクへの旅行、滞在は普通のことだった。

 ジョーン・スカダモアは裕福な弁護士の妻で、トニー、アヴァリル、バーバラの三人の子どもに恵まれ、夫のロドニーはやさしく、満ち足りた暮らしをしていた。生活を快適にすべく、万端に目配せし、腕を振るい、家庭を維持していく自らの能力を誇っていた。子どもや夫のことのみを考え、自分のことを考えることもない、謙虚で、奉仕の精神にあふれた人間だと自負していた。

 結婚し、バグダードで暮らしている末の娘のバーバラが急病ということで、ジョーンは、看病のためバグダードまで出かける。バーバラの容体も安定し、生活も整ったので陸路ロンドンへと帰路に就く。

 途中、大雨のため線路が流され、トルコ国境にあるテル・アブ・ハミドで足止めされる。次の列車はいつ来るかわからない状態で、砂漠の真ん中の何もない土地の鉄道宿泊所(レストハウス)で、四日間、一人で過ごす。

 幕開けでこの4日間が示唆されている。

 バグダードから乗継途中のレストハウスの食堂で、女学校時代、皆の憧れの的だったブランチ・ハガードとバッタリ出会う。彼女はジョーンの目からみて、老け込んだ薄汚れた中年女に見えた。それに比べて自分が若々しく、身なりもよく、昔とちっとも変わらないことに優越感を持つ。

 ブランチは開けっ広げな態度で、悪びれた様子もなく、バーバラのことを「ジョーンの子だと知らなかった。よっぽど問題のある家庭に育ったに違いない。家から逃げ出したくて、プロポーズした最初の男と結婚したんだろうと、皆が噂していた。でも、バーバラはもう大丈夫」と言う。
 ジョーンには何のことかわからない。会話のなかで、「毎日忙しくてたまらないから、一日でも二日でも考え事ばかりして過ごせたら、どんなにすばらしいかと思う」とブランチに語る。

 そして、一日、二日どころではなく、四日間もテル・アブ・ハミドで過ごすことになる。
 読む本もなくなり、何もすることがなく、次々と過去の思い出したくもない出来事があふれだす。夫のこと、子どもたちのことが後から後から、トカゲがそこらじゅうの穴から這い出るように浮かびあがって、ジョーンを不安にさせる。
 「私はこれまでずっと、小さな箱のような世界で暮らしてきたのだ。玩具の子どもたち、玩具の女中たち、そして玩具の夫」奇怪な、支離滅裂な思いが浮かんだりする。

 何故アヴァリルはいつも醒めた、冷たいような、軽蔑したような態度で自分をみたのか。トニーは「お母さまって、誰のこともぜんぜんわかっちゃいないって気がするんだ」と言った。バーバラは「みんな、お母さまのせいだわ。お母さまがひどいからよ」と言った。

 子どもたち三人は父親のロドニーが大好きだった。ロドニーは誰からも好かれていた。
 まだ若かった頃、ロドニーは弁護士事務所に勤めるのはつまらない。農場を経営したいと熱っぽく語った。ジョーンは、子どもたちのために、安定した生活のために、ロドニーに夢を諦めさせた。ロドニーにとって、大切な、本質的な生活の死を意味していた。それ以来、心を殺してジョーンのため、子どもたちのために誠実に義務を遂行してきた。

 隣人の銀行員チャールズ・シャーストンは、銀行のお金を使い込み、3年間刑務所に入っていた。ロドニーはチャールズの弁護をし、妻のレスリーの相談に乗った。レスリーは、生活を、子どもたちを守るために、農場を経営し、何とか軌道に乗せた。「彼女はどん底に陥った一家の立て直しに成功した」と、ロドニーは思い、「突拍子もない連想だが、馬鈴薯の袋を男のように軽々と肩にかけているレスリーの姿を思い描いた」。レスリーを勇気があると思った。

 レスリーは物事に頓着せず、自分のやりたいことを自由にやった。ジョーンは、それを、行き当たりばったりでだらしがないと思っていた。

 レスリーとロドニーは、似ていた。二人は口に出さないが、「狂おしいまでの慕情、苦痛なほどの渇望」を互いに抱いていた。それは互いの心にしまわれたまま、レスリーは癌で亡くなる。ロドニーは神経を病み、「疲れ切った」と言って、療養所で2ヶ月間、静養する。

 ジョーンはロドニーの内面など理解できなかった。理解しようともしなかった。表面的に整っていること、虚栄心を満たすこと、世間の物差しに従うことがすべてだった。子どもたち一人ひとりの個性をみていたわけでもなく、すべて自分の基準、自分中心の皮相的な基準のなかで生活を回し、自分を保っていた。

 そんなジョーンが何もない砂漠に放り出されたとき、どうなるか? 

 内省のきっかけを不愉快なかたちで与えられる。そして、最終的に自分がロドニーにしたこと、子どもたちにしたことを理解する。自分がどういう人間だったかに到達する。
 ロドニーに謝らなければ、許してもらわなければと決意する。ジョーンの雰囲気は変わっていた。

 アレッポからイスタンブール行きのオリエント急行で、公爵夫人サーシャと同室し、ジョーンは砂漠で自分に起こったことを打ちあける。そして、夫に謝りたい、赦しを乞いたい、新しい生活を始めるのだと言い募る。彼女は開放的な態度で熱心に話を聞き、ジョーンをじっとみつめて、「それは回心ですが、神の聖者たちには新しい生活を送ることができたのでしょうが」と意味深長な言い方をする。

 ロドニーは、ジョーンのいない間、本当に好きなことをして過ごす。死んだレスリーに語りかけ、二人で親密に語り合う。満ち足りた時間だった。

 ジョーンが帰ってきたとき、一瞬雰囲気が変わったような気がしたが、ジョーンはやっぱり「朗らかで、有能で、せわしなげなジョーン。自分に満足し、割り当てられた役割を巧みに果たしている、プア リトル ジョーン」だと思う。

 ジョーンは、帰路の途上、葛藤しながらも半分無意識に、これまでの自分─本質的なことは何も見ずに、表面だけを固めて生きていくという自分を選びとる。
 そして、レスリーのことを「かわいそうで、みじめな一生だった」と思う。

 ロドニーは、そんなジョーンを「自分の作りあげた明るい、自信にみちた世界の中で幸せで、安泰な毎日を送り続ければいい」と思い、「かわいそうな、ひとりぼっちのジョーン。どうか君がそれに気づかないように」と願う。

 

 「ミステリーの女王」アガサ・クリスティーは、ミステリーのなかでも、「幸福のもろさ、自己満足のおぞましさ、占有欲の罪深さ」をよく描いているという。

 ジョーンは砂漠の中で覚醒した。しかし、現実の生活の中に戻ってきたとき、それらに蓋をし、無意識の底に追いやってしまった。彼女は恐らく自分に満足しながらも、無意識の不安を抱えて生きるだろう。そしてそのために、ますますロドニーに依存し、ロドニーを支配しようとするだろう。

 ロドニーはすべて自分一人で耐えながら、やさしそうに、ジョーンを包み込んでいるように見えるが、実際はひどく残酷だと思う。ロドニーもまた、自分を生きる勇気を持てなかった。結婚という契約を守るという勇気を示唆しているようでいて、ジョーンを深く傷つけている。

 馬鈴薯の袋を肩に担ぐようなレスリーとは、この点で違っている。ジョーンとロドニーこそ、ある意味ではとても似ているようにみえてくる。
 今風に言うならば、互いに依存しあっていると。

 

             

 

 

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