『もう一つの国』

 黒人であるとはどういうことか、差別の実相とはどういうものか、それは人にどのような影響を与えるのかが、ニューヨーク・マンハッタンでの登場人物たちの孤独な生活、互いの関係性、同性・異性とのセックスなどを通して浮かびあがってくる。そしてそれは、黒人だけでなく、差別を受ける人間一般についても言える。

『八日目の蟬』

 妻子ある人の子を身ごもり中絶した希和子は、男の赤ん坊を連れ出し、4年間の逃亡生活を始める。女たちの共同生活の場でもあったエンジェルホームで2年半過ごし、それから小豆島にわたる。海と、空と、雲と、光と、木と、花とに囲まれたそこでの生活は夢のようだったが、突然終わりを告げる。成長した子は同じように妻子ある人の子を身ごもる。

『ファーストラヴ』

女子大生による父親殺しというセンセーショナルな事件。父親は高名な画家。なぜ殺されたのか? その家庭では何が起きていたのか? 親との関係で心を病む、生きづらさを抱える、何かしら歪んだ世界を生きざるをえない人生を押しつけられる、この理不尽さに苛立ちと怒りを募らせる。こういう世界をミステリー風にうまく描ききったなと思った。

『愛されなくても別に』

深夜のコンビニで、週6日バイトしている大学生の宮田。殺人犯の父を持つ江永。宮田は江永のところに転がりこんで、女二人の共同生活を始める。宮田も江永も欠落をかかえている。その穴を二人でいることで埋め合える。 「親は選べない。でも捨てることはできる。その勇気がここにある」こういう紹介の文章をみて、読まない選択は私にはない。

『ロンリー・ウーマン』

連作短編集。もう若くはない年齢から老齢までの女性が主人公で、皆、内面に孤独を抱えもっている。「持続する一人居というものはしらずしらずのうちに人を狂わせるのかもしれない」とあるように、それぞれが狂気を孕んでいる。

『春にして君を離れ』

家庭を維持していく自らの能力を誇り、子どもや夫のことのみを考え、自分のことを考えることもない、謙虚で、奉仕の精神にあふれた人間だと自負しているジョーンが、何もない砂漠に放り出されたとき、どうなるか? 夫のロドニーは、ジョーンを「自分の作りあげた明るい、自信にみちた世界の中で幸せで、安泰な毎日を送り続ければいい」と願う。二人は共に自分を生きる勇気を持てなかった。

「ヘルピング・ハンズ」

 高級住宅地に住む、46歳のヘレーネは、突然夫を亡くす。子どももなく、何の準備もなしに、孤独の底に突きおとされ、人生の破局を味わっていた。  ヘレーネは自分を守ってくれる人を求めた。生活が壊れて、夢想が現実のなかに入り込む。自分で自分を止められない。守る者もいない剥き出しの現実のなかに、ヘレーネは落ちていく。

『私の消滅』

錯綜した悪意と人間を損なう邪悪さの陰惨な連鎖に翻弄され、もがき苦しみぬいて自殺した女性。彼女を自殺にまで追いつめた人間たちに対する憎悪から復讐を企てる。洗脳による記憶の操作は可能なのか? 私の記憶を他の人間に埋めこむことは可能なのか?

「とうもろこしの乙女 ある愛の物語」

悪意と邪悪さがきわまったような物語。13歳の少女がそこまでできるのか。不自然さはなく、一気に読ませる。シングルマザーの孤独と不安定さ。メディア報道の横暴さと、それをたやすく信じ、一緒になって追いつめる普通と呼ばれる人々。現代の問題にも切り込む衝撃作。

『名もなき毒』

無差別殺人事件と、歪んだ自意識を持つ人間が周りを巻きこんで起こす事件が平行して描かれる。両者に共通してあるのは、激しい怒り。怒りは限界点に達し、外に向けて毒が発せられる。その毒は、結果として、自分自身を苛む毒と、他者を苛む毒に変わる。主人公は、「我々の内にある毒の名前を知りたい」と煩悶する。