『私の消滅』

 中村文則著 文藝春秋 2016年

 

 「悪意に操られる記憶と人格」という書評のタイトル。この手の文脈には、条件反射的に飛びついてしまう。それでも楽しみにとっておいて、そして期待を込めて読んだ。期待以上だった。(内容の説明あり。要注意)

 「このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない」で始まる1冊の手記。手記の内容と僕の回想が交互に描かれる。

 錯綜した悪意。人間を損なってしまう邪悪さ。ある人々の生い立ち、環境のなかに埋めこまれたように存在する悪意。そこで育つ子どもは悪意を吸収するしかない状態で育つ。そして、自らも無意識に悪意を抱えもってしまうか、全く自分の存在を無力化するしかない。いずれも平穏な生とは無縁の人生が待っている。

 「人間の習性を操るような快楽」を、「悪意に満ちた老人の暇つぶし」として、そして、それを治療と称して行っていた老精神科医はいう。社会から虐げられることで、彼のなかに溜まった悪意が、社会に還元されていく。還元された悪意の被害者たちはそれぞれに傷を負い、それぞれの人生を起点にさらに悪意が広がっていく。「私が見ていたのは、その線だよ。暗い線。その暗い線の無造作な動き方を、その流れを私は美しいと思いながら見ていた」と。
 黒い悪意の線の網にからめとられた人間はどうなるのか。悪意に内面を潰される。

 老精神科医の治療を受け、成長した子どもは、老精神科医と同じ道を選び、自らも精神科医となる。そして、記憶の改竄に手を染める。愛する人の、人生の過酷さ、不条理を、経験した暴力的な出来事とともに記憶から消し去ってしまおうと試みる。
 「大丈夫だよ。きみは生まれてきたんだから。生まれてきたんだからこの世界を楽しんでいいはずだ。過去が何だというのだろう? そんなものはいらない。そんなものは消えてなくなればいい。ささやかでいい。きみがこの世界を生きていたいと思えるくらいの幸福を」と願いながら。
 治療は成功し、彼女は記憶を失い、別な人と、新しい愛に満ちた生活を始める。

 しかし、老精神科医は、「この世界の悪意に満ちたレフリーのように、彼女を網の中に連れ戻して」しまう。彼女は、からめとられた悪意の黒い網の中で、命を断つ。

 内面に手を加えられ、精神科医となった子どもは、老精神科医に復讐を果たす。
 「今のあなたが、僕からあなたに向かう黒い線、それを美しいと思えるかどうか」と、老精神科医に返しながら。
 悪意の由来と、その悪意を自分のなかから消し去りたいと願っている心のやわらかさを失っていない人間の、やわらかさを失い、邪悪なものへと変化した人間に対する復讐劇。

 そして彼は、「自分は、こういう人生を歩みたかったという、ささやかな願望があった。誰かと一緒ではなくても、どこか静かな場所で、散歩をしたり本を読んだりしながら過ごしたいという願望。こういう内面を抱えるのではなく、もう少しだけシンプルな内面を持つ人間になりたかったという願望」を抱きしめ、「平凡に生まれ、平凡に生きた架空の嘘の人生」を自分の新しい人生とし、自ら自分の記憶の消滅を実行する。それは死ではなく、そうありたかった人生の再生である。

 凄惨な内容なのに後味はよかった。やさしさがある。悪を引き受ける強さと脆さがあり、その強さが独善的でなく、他者に向けられた共感がベースにあるので、やわらかく、心に触れられるような心地好さがある。それでも、気が重くなるほど寂しくなった。主人公の心の中に入り込んだみたいに。

                  

 

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