川名壮志著 新潮文庫 2018年
(『僕とぼく』川名壮志著 新潮文庫 2021年)
2004年、佐世保小六女児同級生殺害事件。12歳の小学6年生が、同級生を、カッターナイフで殺す。現実に起こったことだと信じられなかった。
被害者の父親(毎日新聞佐世保支局長)が、事件後すぐに報道陣の記者会見に応じていたので、とても驚き心配になった。恐らく自分を見失って、自分自身の娘に対する悼む行為をしていないのは、ひどく深く自分を損なってしまうのではと、とても気にかかった。
『謝るなら、いつでもおいで』(単行本は2014年集英社から発行)は、父親の部下だった記者によって書かれたもので、「本当のことを書くのはいつだって難しい。見たこともない景色をたくさん見て、少しでも気を抜いたら胸がひきちぎられそうだった、嵐のような日々とそれから―」と前書きにある。前半、事件後の渦中を描ききっている。後半は、お父さんとお兄ちゃんの言葉がそのまま一人称で、地の文を交えずに書かれているのが心に響いた。
「子ども同士で「こんなやつは大嫌い。いなくなっちゃえ」と思うのは、それ自体は全然普通のことっていうかさ。でも、そこから突き進まないような安全弁を普通はみんな持っているんだよ。でも、あの子の場合はなかった」「何が最後の一線を越える要素なのか」と父は言う。
「自分のやったことと向き合わせるってことがなきゃいけないのかな。最終的には、そこで向き合って、相手を悼む心が持てないと、何事も始まらない」
「あの子には、生きて抱えてもらいたいと思ってる。ちゃんと、生きて抱えて、自分がやったことに対して逃げずにね。だから、そのために、きちんと心を成長させる必要がある」と兄は語る。
「この父子は怜美ちゃんを失った喪失感を、憎しみで埋め合わせようとはしなかった」と著者は書いている。
解説(伊賀大介)が的確で、かつ面白かった。「娘に限らず、子供を持つ親なら誰しもが涙を禁じ得ないであろう、あの手記を書いた(そして、それによって娘の尊厳を守ろうとした)お父さん」という文を読み、あー、本当にあの手記には心が震えたが、お父さんは娘の尊厳を守ろうとしていたのだと、言われてはじめて深く納得した。
『僕とぼく』(単行本)は、『謝るなら、いつでもおいで』の5年後に出版された。「犯罪被害者の再生を綴った感動の記録」とカバー裏表紙にある。
兄と弟の語りが交互に綴られる。前半はさほど乗れなかったが、後半は一気に読んだ。読ませられた。そして、二人に光が射したことに対して、私も幸せな気持ちに浸れた。特に弟に対して「よかったね」と。兄に女の子が産まれたのは、御手洗家族とママさん(祖母)にとって、文字通り光となって包まれていくだろう。たくまずして、巧みな構成となる現実に感謝の思いを抱く。
私が心配していたお父さんも、仕事を勤め上げ、もうすぐ定年退職だそうだ。「男手ひとつでぼくと兄貴を育ててくれた。きっとぼくなんかより、ずっとたくさんの夢をあきらめたんじゃないかって思う」と、弟は父親を労っている。
父親は初孫の娘を抱きながら、「俺、幸せになっていいんだな」と素直に思えたらしい。その話を聞き、兄は、「僕が、僕の娘が、親父を少しは幸せな気持ちにさせられたんだなって」と、「ちょっとぐっときた」と語っている。
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