邪悪

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映画「ミスティック・リバー」

デイヴは自分が選んだ道を歩いてきたのではない。ただ不可抗力のようにして、ひとつの道を歩いてきたのだ。その道を常に否定しながら。そしてデイヴは破滅した。破滅させられた。 最後のどんでん返しと、見る者に委ねられたようなラスト。人によってそれぞれの物語がそこから始まる。
映画

映画「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」

都営霞ヶ丘アパートはオリンピックのために取り壊された。住民の意向を無視して、特に高齢者の生活基盤を破壊した。それも聞く耳を持たない東京都の高圧的なやり方で。これは紛れもない事実である。

『わたしを離さないで』

『わたしを離さないで』で、キャシーは、「一本の線のこちら側にわたしとトミーがいて、あちら側にルースがいます。こんなふうにわかれているのは、わたしには悲しいことです」と言う。『闇の子供たち』に関して、永江朗は、「「ここ」と「向こう」に線を引き、「ここ」にとどまる者にはけっして書き得ない」本だと書いている。
映画

映画「ブレイブ ワン」

すべてを失い、「声だけが肉体から離脱したように街の中をさまよっている」エリカに、マーサーはどうやって立ち直るのかと尋ねる。エリカは、「生まれ変わるの、別人に」と答える。恐怖が自分を見知らぬ誰かに変え、銃を買ったとき、世界との関係が変わる。

『私の消滅』

錯綜した悪意と人間を損なう邪悪さの陰惨な連鎖に翻弄され、もがき苦しみぬいて自殺した女性。彼女を自殺にまで追いつめた人間たちに対する憎悪から復讐を企てる。洗脳による記憶の操作は可能なのか? 私の記憶を他の人間に埋めこむことは可能なのか?
映画

映画「冷たい熱帯魚」、「凶悪」

埼玉愛犬家連続殺人事件をベースにした「冷たい熱帯魚」、「ある死刑囚の告発」を元にした「凶悪」。両者に共通するのは、金のための殺人と過剰な暴力。ある意味ではわかりやすい「名前のある毒」ともいえる。しかし、暴力の過剰さが増すごとに、現実から逸脱していくような不気味さが立ち現れる。

「とうもろこしの乙女 ある愛の物語」

悪意と邪悪さがきわまったような物語。13歳の少女がそこまでできるのか。不自然さはなく、一気に読ませる。シングルマザーの孤独と不安定さ。メディア報道の横暴さと、それをたやすく信じ、一緒になって追いつめる普通と呼ばれる人々。現代の問題にも切り込む衝撃作。

『名もなき毒』

無差別殺人事件と、歪んだ自意識を持つ人間が周りを巻きこんで起こす事件が平行して描かれる。両者に共通してあるのは、激しい怒り。怒りは限界点に達し、外に向けて毒が発せられる。その毒は、結果として、自分自身を苛む毒と、他者を苛む毒に変わる。主人公は、「我々の内にある毒の名前を知りたい」と煩悶する。

『冷血』 IN COLD BLOOD ⑥

カポーティの数寄な生涯を友人、愛人、ライバルが生々しく証言した、聞き書きによる伝記『トルーマン・カポーティ(上、下)』(ジョージ・プリンプトン著)がある。 その中にカポーティ自身の言葉もあり、次のように述べている。 葉や花のある植物を読者に...

『冷血』 IN COLD BLOOD ⑤

Ⅳ 隅っこ(コーナー) フィニー郡裁判所の4階の郡拘置所は、保安官住宅と、鋼鉄の扉と短い廊下でへだてられただけだった。保安官住宅には、保安官代理とその妻マイヤー夫妻が住んでいた。 マイヤー夫人は落ちついた、やさしい性質の持ち主で、率直な、実...