斎藤幸平著 集英社新書 2020年
2021年の新書大賞受賞。2022年2月時点で45万部という異例の大ヒット。
気候危機やら、新自由主義による格差拡大やらに絶望していた人間にとって待望の書だった。私などこの本に出合えて、長生きしてよかったと思った。(以下、適宜抜粋)
「人新世」とは、「人間たちの活動の痕跡が地球の表面を覆いつくした年代」(ノーベル化学賞受賞者パウル・クレッツェンの命名)で、人類の経済活動が地球環境を破壊するこの時代を指す。地球環境の破壊を行っている犯人が、無限の経済成長を追い求める資本主義システム。緻密なデータと研究の紹介により気候変動と資本主義の問題点を納得させてくれる。
SDGs(持続可能な開発目標)でも、グリーン・ニューディール(技術革新による環境保護と経済成長の両立)でも、加速度的に進む環境破壊と温暖化は止められない。
マルクス思想のまったく新しい面をマルクス晩年の研究から「発掘」し、脱成長コミュニズムとして展開。新しいコミュニズムの基礎は、持続可能性と社会的平等であると、熱く語る。
新自由主義は民営化、規制緩和、緊縮政策を推し進め、金融市場や自由貿易を拡大し、グローバル化の端緒を切り拓いた。
資本主義のグローバル化は環境危機に直結している。そして、グローバル・サウス(グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民)からの資源やエネルギーの収奪に基づいて先進国のライフスタイルが保証されている。
抑制なき消費に人々を駆り立てる「資本の専制」のもとでは、そうした自己抑制としての自由を選ぶのは困難になっている。人々が自己抑制をしないことが、資本蓄積と経済成長の条件に織り込まれているのである。自己抑制を自発的に選択すれば、それは資本主義に抗う「革命的」な行為になる。
人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は自然もまた掠奪の対象とみなす。そのような社会システムが無限の経済成長を目指せば、地球環境が危機的状況に陥るのは当然の帰結である。
処方箋は、「経済成長から脱成長へ」
脱成長とは、経済成長に依存しない経済システム。行きすぎた資本主義にブレーキをかけ、人間と自然を最優先にする経済を作り出そうとするプロジェクト。人々の繁栄や生活の質に重きを置く。
『21世紀の資本』で有名なピケティも、単なる「飼い馴らされた資本主義」ではなく、「参加型社会主義」を求めはじめている。
大地=地球を〈コモン〉として持続可能に管理すること。資本主義を抜け出すカギは〈コモン〉(=共有財産)の民主的な管理にある。水、河川、電力、住居、医療、教育、保育、介護などは利潤追求になじまない。これらを公共財として自分たちで民主的に管理する。(スペイン・バルセロナ「フィアレス・シティ(恐れ知らずの都市)」の萌芽的な例がある)
『資本論』では、自然と人間の物質代謝に走った亀裂を修復する唯一の方法は、自然の循環に合わせた生産が可能になるよう、労働を抜本的に変革していくこと。労働の形を変えることが、環境危機を乗り越えるためには、決定的に重要だと言及されている。
脱成長コミュニズムの柱
①使用価値経済への転換
資本主義のもとでは、売れればなんだってかまわない。「使用 価値」(有用
性)や商品の質、環境負荷はどうでもいい。
例)パンデミック発生時に社会を守るために不可欠な人工呼吸器やマスク、消
毒液は、十分な生産体制が存在しなかった。コストカット目当てに海外に工
場を移転したせいで、先進国であるはずの日本が、マスクさえも十分に作る
ことができなかった。
②労働時間の短縮
過労死するほどの労働が強いられている。社会の再生産にとって本当に必要
な生産に労働力を意識的に配分。マーケティング、広告、パッケージングな
どによって、人々の欲望を不必要に喚起する仕事は必要ない。コンサルタン
トや投資銀行も不要。深夜のコンビニやファミレスをすべて開けておく必要
はない。年中無休も止める。(年寄りは思う。ほんの、4,50年前はそうだ
ったのだよと)
③画一的な分業の廃止
労働の創造性を回復
現代における実践―ワーカーズ・コープや協同組合での、利益よりもやりが
いや助け合いを優先
④生産過程の民主化
労働者たちが生産における意思決定権を握る
生産手段を〈コモン〉として民主的に管理
「アソシエーション」による生産手段の共同管理
⑤エッセンシャル・ワークの重視
エッセンシャル・ワークがきちんと評価される社会
自治管理の実践 例)保育の現場 世田谷区の保育園で、経営者が突然閉園。
保育士たちが「介護・保育ユニオン」の力を借りて自主営業。現場における
自治管理を自らの手に取り戻し、サービスの質を守るための積極的な「反逆」
実践的な行動のための展望
気候正義
気候変動を引き起こしたのは先進国の富裕層だが、その被害を受けるのはグ
ローバル・サウスの人々と将来世代。この不公正を解消し、気候変動を止め
るべきだという認識
ミュニシパリズム
国境を越えて連帯する、革新自治体のネットワークの精神
地域の主権を大切にするスペイン(バルセロナが呼びかけた「フィアレス
・シティ」のネットワーク)などから広がった新しい政治運動
食糧主権
農業を自分たちの手に取り戻し、自分たちで自治管理することは、生きるた
めの当然の要求
メキシコ・チアパス州の先住民が起こしたサパティスタの抵抗運動
国際農民組織ヴィア・カンペシーナ(スペイン語で「農民の道」)
3.5%が立ちあがれば、社会は変えられる。
持続可能で公正な社会を目指そう!
著者は、9月23日、青山の国連大学前での若者による気候変動アクションで飛び入りスピーチしている。書斎の中で理想を語るのではなく、実際に動く、活動する若き研究者である。「思想を通して、現実の社会を変えていく。そんな研究者でありたい」と、雑誌で語っている。
最後に読みかけの本を1冊。ヨーロッパ移民として、NGOで働きつつ、同時多発テロからコロナ危機までの激動の20年の生活を振り返った記録、『私がつかんだコモンと民主主義』。
この6月に杉並区長となった岸本聡子の著書。斎藤幸平が帯に「地べたの民主主義がここにある」と書いている。具体的で読みやすく、『人新世の「資本論」』の具体例満載という感じで、行動の指針にもなる1冊。
もう一つ、ついでに。
佐伯啓思の「「資本主義」の臨界点」という朝日新聞(2021年12月18日)の記事が興味深かった。岸田首相の所信表明演説中の「新しい資本主義」に否定的に触れたもので、「空間、技術、欲望のフロンティアを拡張して成長を生み出してきた「資本主義」は臨界点に近づいているといわざるをえない。「分配」と「成長」を実現する「新しい資本主義」も実現困難といわざるをえないだろう」と。
佐伯啓思といえば、『「欲望」と資本主義』(講談社現代新書 1993年)を読んだことがある。佐伯啓思の言説には、はっとさせられるところもあるが、根本的な考え方は好きではない。それでも、この本はとてもよかった。「欲望」と資本主義を結びつけて解説しているところが、私のなかに漠然としてあったものに、すっきり説明をつけてくれた気がした。
例えば――
欲望の充足は、ただ個人の満足というようなことではなく、重要な社会的効果をもってくる。欲望の充足は、同時に、社会的な優越の印となってくるだろう。~実際上、欲望は、純粋に対象に向けられたものというより、こうした仲間の間での優位をめぐる競争と切り離せなくなる。(p.90 )
モノをもつことが人生の証しであり、地位の証明であり、「アメリカ人」になることだったのである。~だからモノはアメリカン・ドリームを象徴するものだったのだ。
これは「大衆消費社会」と呼ぶべきものである。モノによってしか、自分をアイデンティファイできないのが現代の大衆なのである。自動車、ファッション、住宅といったモノに託して自分を他人の眼差しにさらし、そのことによって自分を認定してもらう、このようにしてしかセルフ・アイデンティティを確認できないのが大衆社会なのだ。(p.159 )
記事に戻ると、
今日われわれは、人間の外部に横たわる自然を改変するだけではこと足りず、AIや遺伝子工学、生命科学、脳科学等によって、われわれ自身を改変しようとしている。これらの新しいテクノロジーによって一層の自由や富や寿命を手に入れようとしている。本来的に有限で、いわば「死すべきもの」である人間が、無限で「永遠なるもの」へと接近しようとしているようにも見える。人間が人間という「分限」を超え出ようとしている。近代の欲望は、まだ「有限性」の中にあって少しずつフロンティアを拡張するものであった。だが最近の技術は、それさえも超え出てしまったのではなかろうか。
われわれはようやく「資本の無限の拡張」に疑いの目をむけつつある。とすれば、われわれに突き付けられた問題は、資本主義の限界というより、富と自由の無限の拡張を求め続けた近代人の果てしない欲望の方にあるのだろう。
と結ばれているが、「果てしない欲望」を作り出し、刺激しつづけたのは、「資本の無限の拡張」なのではないかと思う。『「欲望」と資本主義』を私はそのように読んだ。
そして、このことが、『人新世の「資本論」』につながる。
コメント