トルーマン・カポーティ著 龍口直太郎訳 新潮文庫 1978年
1959年11月15日~16日、アメリカ中西部カンザス州フィニー郡ホルカム村で起ったクラター一家4人惨殺事件。善良で勤勉なクラター氏、病気がちの妻、15歳のケニヨン、村の人気者14歳のナンシー。クラター氏は喉を掻ききられ、至近距離から猟銃で顔を撃たれ、他の3人も至近距離から猟銃で頭部を撃たれていた。クラター氏は現金を家に置いておかない主義だった。一家は恨みを買うようなこともなく、怨恨でも物盗りでもなく、事件は混迷を深める。
新聞紙上で事件を知ったカポーティは、友人で同じ南部の作家ハーパー・リー(『アラバマ物語』の作者)と、まだ血生臭い現場に飛び込む。
「KBI(カンザス州捜査局)捜査官も顔負けの東奔西走をつづけ、この事件に少しでも関係があると思われるありとあらゆる人間に面接して話を聞き、さらに犯人が逮捕されると、犯人が犯行前後に足跡を印したすべての場所に出かけて行き、遠くメキシコまで足を伸ばし、面会と調査と探偵を三ヵ年にわたってつづけ」た。収集したデータは6000頁にも及び、その厖大な資料を整理するためさらに3年近い歳月を費やし、“小説”に仕上げた。
驚くべき執念である。カポーティは、それを“ノンフィクション・ノヴェル”と称した。
この事件の犯人は、同時期に刑に服し、仮釈放で出所していたペリー・エドワード・スミスとリチャード・ユージーン・ヒコック。カポーティはペリーに感情移入する。
カポーティの母は類いまれな美人で、16歳で結婚。カポーティを産むが、子どもを望んではいなかった。カポーティは親戚をたらい回しされる。彼女はジョゼフ・ガルシア・カポーティと再婚し、その後自殺している。
ペリーの父は地味な美男子のアイルランド人カウボーイ。
母はチェロキー族で、ロデオを職業としている「野生馬乗りのチャンピオン」だった。ほっそりしてたくましかった。病気で引退を余儀なくされると、夫婦仲は悪くなり、酒に溺れ、子どもたちをつれて、夫の元を去る。かつては力強く、すばしこかったが、彼女の顔には酒のためにしみが浮かび、体はぶくぶくとふくれ、「心は意地悪く」なり、毒づく言葉は砥石でといだように鋭く、彼女の自尊心は完全に崩れ去っていた。
そして、「アル中の母親はヘドを吐いて窒息死した」とペリーは語る。
ペリーの兄と二人の姉。下の姉のバーバラだけが普通の生活にはいり、結婚して家庭の主婦におさまった。上の姉のファーンはサン・フランシスコにあるホテルの窓から飛び降りた。兄のジミーはある日、妻を自殺においやり、その翌日、彼も自殺した。
カポーティは、ペリーに自分を見ていたのかもしれない。
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