戦争

映画

映画「異端の鳥」

説明は一切ない。モノクロの映像。普通と言われる人々の苛烈な暴力。どこにでもある。出会う人、出会う人が少年に悪意と邪悪と残虐のかぎりを尽くす。善き人に出会えることはあるのかと、画面を見つめる。

『砕かれた神―ある復員兵の手記』

「敗戦後、天皇は責任をとって自決されると信じていた。少なくとも退位されると」 『砕かれた神』の著者、渡辺清は16歳で海軍に志願し、20歳で敗戦をむかえる。激烈と言えるほどの純粋な天皇崇拝者であった。それが筋金入りの天皇否定論者に変わる。その経緯を辿る。

『戦争は女の顔をしていない』

第二次世界大戦でのソ連の死者は、2000万人。その戦いに、看護師や医師としてだけではなく、兵士としても、100万人を超える女性が従軍した。15歳から30歳だった。40数年後、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチはそれらの女性たち、500人以上から戦争体験の話を聞き、『戦争は女の顔をしていない』にまとめた。
映画

ノーム・チョムスキー インタビュー

ノーム・チョムスキーのインタビュー。93歳。明晰で冷徹な分析と冷静な語り。オリバー・ストーン監督はウクライナとロシアとアメリカの関係を映像で表現したが、チョムスキーは言葉と論理で、白日の下に晒している。アメリカの驚愕の実態が語られる。

『日本軍兵士』

アジア・太平洋戦争の実態を、徹底的に「兵士の目線」「兵士の立ち位置」からとらえ直す。かつ、兵士たちの置かれた過酷な状況と「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにする。そこには、「帝国陸海軍」の軍事思想の特質、天皇も含めた戦争指導のあり方、軍隊としての組織的特性の問題も含まれる。
映画

映画「告発のとき」

行為とたたずまいの落差。イラクでは一体何が起こっていたのかと、見る者に暗い戦慄を起こさせる。マイクの「父さん、助けて」という声がいつまでも心に張りつく。ハンクは、少なくとも自分が信じてきた世界とは違う世界が、イラクで戦う人間を蔽いつくしていることに呆然とする。

『時間』『審判』

堀田善衛の『時間』と、武田泰淳の『審判』を読んだ。「殺、掠、姦―1937年、南京を占領した日本軍は暴虐のかぎりを尽した」人々はどのように駆り立てられ、どこに、どのように集められ、そしてどのように犯され、どのように殺され、その屍骸は誰が、どのように処理したのか。 

『1★9★3★7 イクミナ』

「記憶の墓をあばく」というすさまじく暗く重たい熱量。目を見開き、見たくないもの、隠れているもの、隠蔽されているものを見ようという意志のほとばしり。負の歴史に対峙するとはこういうことなのかと震撼させられる。「ゲッベルスと私」のポムゼルと対極にある生のかたち。
映画

映画「キャタピラー」

 1940年、黒川久蔵は徴兵され、中国大陸に赴く。4年後、両手足を失い、頭部に深い火傷を負い、話すことができず、耳は聴こえない状態で、首に勲章をかけられて、帰還する。新聞は英雄と褒めたたえ、村人は「軍神様」と崇める。
映画

映画「ゲッベルスと私」

自分が何をしたか、何をしなかったか、そういう問いの立て方ではなく、私は精一杯生きた。あの時代、仕方がなかった。仕事に誠実に生きた、と語る姿。同時に、私は知らなかった、と語る姿。彼女の思いは、当時を生きたドイツの普通の人々の思いでもあるだろう。