家族

『ランスへの帰郷』

恥が誇りに変貌する瞬間、それは一貫して政治的なものである。支配と服従のメカニズムはどのように作動したかについて考察するために過去を振り返る。どういう本に影響を受け、どういう本を血肉として自分を育ててきたかの省察でもある。
映画

映画「茜色に焼かれる」

社会の底辺でおしひしがれている人たちの息苦しさ、どうしようもなさ、無力感、屈折する怒り。一人は自殺し、一人はそれでも私はこうやって生きていくしかない、こうやって生きていくのだと、世間に宣言しているような映画だった。

『護られなかった者たちへ』

生活保護制度の矛盾や不条理。他者に対して敬意をもつという姿勢が、「公」の現場やそこに影響を与える人々に欠落している。だから「北九州方式」などというやり方が罷り通っているのだろう。

『大丈夫な人』

社会的に弱い立場にいる人の持つ、もどかしさ、あきらめ、鬱屈感が、悪い状況を打開するのではなく、身を任せ、流されてしまう方向に動いていく。受け身の人間の心の働かせ方が、これでもかと描かれている。
映画

映画「プリズナーズ」

父と娘の物語の定番のようなお話、プラス幼児誘拐の話をからませてある。「愛する娘を奪われ、狂気にとらわれた父親が取った行動とは!?」と、センセーショナルにとりあげられていて、つい観てしまった。
映画

映画「嘆きのピエタ」

「前代未聞の愛の結末に、世界が言葉を失った魂のサスペンス・ドラマ」、公式ホームページのキャッチコピー。本当に言葉を失うかも……

『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』

17歳の少年の祖父母に対する強盗殺人事件。過酷な境遇で育った少年は、母親に支配、コントロールされていた。少年は、社会の、そして何より母親の被害者だった。その母親もまた、被害者だったかもしれない。
映画

映画「オールド・ボーイ」

チャランポランで、真面目に生きているとは言えない男が、ある日突然、妻と娘を残して、理由もわからず監禁された。そして、15年後に解放される。そこから男の復讐劇が始まる。若い女と知りあい、愛しあい、謎に迫っていく。なぜ監禁されたのか。監禁した相手は、なぜ解放したのかと問うべきなのだと語る。
映画

映画「マイ・マザー」

 原題は「僕は母を殺した」。ちょっと身構えてしまうが、内容はずっと穏やか。16歳の主人公ユベールの母親に対する愛憎と揺れ動く心の狭間を二人の派手な罵り合いや、斬新な映像で見せる。 グザヴィエ・ドラン、19歳で、監督・脚本・製作・主演。天才だと思う。鮮烈のデビュー作。

『放蕩記』

「『放蕩記』を、受け容れがたい、これは母親への復讐の書でしかないと断じる人たち」の、「最も理解の妨げになるのは、〈母性という神話〉よりも、〈善なる者の傲慢さ〉、つまり多数の側にいることで自らの正義を疑わない人たちの、想像力の欠如ではなかろうか」