邪悪

『家畜人ヤプー』

こういう世界に、ファナティックに耽溺する人がいるのだと目を開かされた1冊。人間の理性を奪う方法、苦痛を歓喜、僥倖に変える方法の言及にも関心がいった。根本原理は、宗教そのものの原理であり、オーソドックスな方法だと思う。
映画

映画「PLAN 75」

年をとっても、穏やかに暮らしていける生活の条件、経済的な条件が整っているならば、人は自ら死を選びたいとは、そうは思わないだろう。「プラン75」のあくどさがきわだつ。
映画

映画「異端の鳥」

説明は一切ない。モノクロの映像。普通と言われる人々の苛烈な暴力。どこにでもある。出会う人、出会う人が少年に悪意と邪悪と残虐のかぎりを尽くす。善き人に出会えることはあるのかと、画面を見つめる。

『日本軍兵士』

アジア・太平洋戦争の実態を、徹底的に「兵士の目線」「兵士の立ち位置」からとらえ直す。かつ、兵士たちの置かれた過酷な状況と「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにする。そこには、「帝国陸海軍」の軍事思想の特質、天皇も含めた戦争指導のあり方、軍隊としての組織的特性の問題も含まれる。
映画

映画「告発のとき」

行為とたたずまいの落差。イラクでは一体何が起こっていたのかと、見る者に暗い戦慄を起こさせる。マイクの「父さん、助けて」という声がいつまでも心に張りつく。ハンクは、少なくとも自分が信じてきた世界とは違う世界が、イラクで戦う人間を蔽いつくしていることに呆然とする。

『時間』『審判』

堀田善衛の『時間』と、武田泰淳の『審判』を読んだ。「殺、掠、姦―1937年、南京を占領した日本軍は暴虐のかぎりを尽した」人々はどのように駆り立てられ、どこに、どのように集められ、そしてどのように犯され、どのように殺され、その屍骸は誰が、どのように処理したのか。 
映画

映画「オールド・ボーイ」

チャランポランで、真面目に生きているとは言えない男が、ある日突然、妻と娘を残して、理由もわからず監禁された。そして、15年後に解放される。そこから男の復讐劇が始まる。若い女と知りあい、愛しあい、謎に迫っていく。なぜ監禁されたのか。監禁した相手は、なぜ解放したのかと問うべきなのだと語る。

『1★9★3★7 イクミナ』

「記憶の墓をあばく」というすさまじく暗く重たい熱量。目を見開き、見たくないもの、隠れているもの、隠蔽されているものを見ようという意志のほとばしり。負の歴史に対峙するとはこういうことなのかと震撼させられる。「ゲッベルスと私」のポムゼルと対極にある生のかたち。
映画

映画「ゲッベルスと私」

自分が何をしたか、何をしなかったか、そういう問いの立て方ではなく、私は精一杯生きた。あの時代、仕方がなかった。仕事に誠実に生きた、と語る姿。同時に、私は知らなかった、と語る姿。彼女の思いは、当時を生きたドイツの普通の人々の思いでもあるだろう。
映画

映画「ちいさな独裁者」

人間の悪意をあぶりだしていて、それが事実として坦々と描かれていて、とても不快な気分になる。現実にあり得ること、似たようなことはどこでも起こり得る。そのどす黒さと逡巡のなさに耐えきれないのか。小さなヒトラーはどこにでもいる。