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映画「キャタピラー」

 1940年、黒川久蔵は徴兵され、中国大陸に赴く。4年後、両手足を失い、頭部に深い火傷を負い、話すことができず、耳は聴こえない状態で、首に勲章をかけられて、帰還する。新聞は英雄と褒めたたえ、村人は「軍神様」と崇める。
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映画「ゲッベルスと私」

自分が何をしたか、何をしなかったか、そういう問いの立て方ではなく、私は精一杯生きた。あの時代、仕方がなかった。仕事に誠実に生きた、と語る姿。同時に、私は知らなかった、と語る姿。彼女の思いは、当時を生きたドイツの普通の人々の思いでもあるだろう。
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映画「ちいさな独裁者」

人間の悪意をあぶりだしていて、それが事実として坦々と描かれていて、とても不快な気分になる。現実にあり得ること、似たようなことはどこでも起こり得る。そのどす黒さと逡巡のなさに耐えきれないのか。小さなヒトラーはどこにでもいる。
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映画「ミスティック・リバー」

デイヴは自分が選んだ道を歩いてきたのではない。ただ不可抗力のようにして、ひとつの道を歩いてきたのだ。その道を常に否定しながら。そしてデイヴは破滅した。破滅させられた。 最後のどんでん返しと、見る者に委ねられたようなラスト。人によってそれぞれの物語がそこから始まる。
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映画「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」

都営霞ヶ丘アパートはオリンピックのために取り壊された。住民の意向を無視して、特に高齢者の生活基盤を破壊した。それも聞く耳を持たない東京都の高圧的なやり方で。これは紛れもない事実である。
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映画「インファナル・アフェア」

マフィアに潜入する刑事トニー・レオンと、マフィア側から警察に潜入するアンディ・ラウ。潜入10年の疲弊で追いつめられ精神のバランスを崩しそうな刑事と、同じく緊張を強いられ続けるマフィア側のスパイ。警察もマフィアも、自分の組織にスパイがいると感知する。
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映画「イースタン・プロミス」

陰鬱なロンドンの闇の世界に息づくロシア・マフィアの人身売買。一人の少女がドラッグストアで大量の血を流して倒れる。少女は妊娠しており、赤ん坊は何とか助かるが、少女はどこの誰ともわからず死んでしまう。助産師アンナは少女の身寄りを探そうと、少女が残したロシア語の日記を解読しようとする。マフィアの運転手、ニコライの暗い影とかすかな温かさ。そして、得体の知れなさ。
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映画「私はあなたのニグロではない」

他者を同じ人間だと認めない精神構造は、人を怪物にする。 「強制的に作られた黒人への偏見の歴史、無知や先入観が引き起こす“差別の正体”」を、証言や豊富な記録映像で突き付けられる。  60年代の公民権運動から現在のブラック・ライヴズ・マターを踏まえて、アメリカの人種差別、ひいてはすべての人種差別の根底にあるものを摘出している。
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映画「サーミの血」

 北欧ラップランドで、トナカイを飼い、自然とともに暮らすサーミ人。ヨーロッパ人の先住民族に対する差別と偏見。差別される側は、自由に生きることが、故郷を捨て、ヨーロッパ人に同化することになってしまっている。
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映画「8月の家族たち」

見終わった後、しばらく腰を上げられないような、ひたすら重たくのしかかるような映画だった。 一方で、確かに現代の家族のある面の典型とも言えるような、すさまじい映画だった。出てくる人、出てくる人、皆が病んでいるような、それでいて、どこにでもいるごく普通の人のような。救いはないけれど、自分の場所で、そうやって生きていくしかない。