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『八日目の蟬』

 妻子ある人の子を身ごもり中絶した希和子は、男の赤ん坊を連れ出し、4年間の逃亡生活を始める。女たちの共同生活の場でもあったエンジェルホームで2年半過ごし、それから小豆島にわたる。海と、空と、雲と、光と、木と、花とに囲まれたそこでの生活は夢のようだったが、突然終わりを告げる。成長した子は同じように妻子ある人の子を身ごもる。
映画

映画「8月の家族たち」

見終わった後、しばらく腰を上げられないような、ひたすら重たくのしかかるような映画だった。 一方で、確かに現代の家族のある面の典型とも言えるような、すさまじい映画だった。出てくる人、出てくる人、皆が病んでいるような、それでいて、どこにでもいるごく普通の人のような。救いはないけれど、自分の場所で、そうやって生きていくしかない。

『ファーストラヴ』

女子大生による父親殺しというセンセーショナルな事件。父親は高名な画家。なぜ殺されたのか? その家庭では何が起きていたのか? 親との関係で心を病む、生きづらさを抱える、何かしら歪んだ世界を生きざるをえない人生を押しつけられる、この理不尽さに苛立ちと怒りを募らせる。こういう世界をミステリー風にうまく描ききったなと思った。

『愛されなくても別に』

深夜のコンビニで、週6日バイトしている大学生の宮田。殺人犯の父を持つ江永。宮田は江永のところに転がりこんで、女二人の共同生活を始める。宮田も江永も欠落をかかえている。その穴を二人でいることで埋め合える。 「親は選べない。でも捨てることはできる。その勇気がここにある」こういう紹介の文章をみて、読まない選択は私にはない。
つれづれに

つれづれに

私にとっての「かっこいい女」たち。 孤独で、空虚を抱えていて、狂気を孕んでいたり、過度に非情だったり…… こういう女たちに惹かれる。 私のなかの何が共鳴しているのだろう?
映画

映画「ミリオンダラー・ベイビー」

リングに登場したときの、「青い熊」ビリーの存在感に打ちのめされた。虚無の塊のような、地獄からやってきたような、人を寄せ付けない暗さのすさまじさに引き込まれそうだった。私の記憶のなかでは、かっこいい女になっていた。
映画

映画「ドラゴン・タトゥーの女」

40年前の少女失踪事件の謎を現場の孤島で追跡調査するという筋立てに、天才的なハッカー技術をもち、孤独で、暗い翳を抱えて、強くて、非情で、甘さだの優しさだのとは無縁なリスベットが絡み、過去の忌まわしい闇が解明される。
映画

映画「ブレイブ ワン」

すべてを失い、「声だけが肉体から離脱したように街の中をさまよっている」エリカに、マーサーはどうやって立ち直るのかと尋ねる。エリカは、「生まれ変わるの、別人に」と答える。恐怖が自分を見知らぬ誰かに変え、銃を買ったとき、世界との関係が変わる。

『ロンリー・ウーマン』

連作短編集。もう若くはない年齢から老齢までの女性が主人公で、皆、内面に孤独を抱えもっている。「持続する一人居というものはしらずしらずのうちに人を狂わせるのかもしれない」とあるように、それぞれが狂気を孕んでいる。
つれづれに

つれづれに

「ヘルピング・ハンズ」から「ブルージャスミン」まで、空虚を抱えた女の話を取りあげた。私自身が空虚を抱えているから、とても共感する。「ヘルピング・ハンズ」のヘレーネも、「ブルージャスミン」のジャネットも、最後は心が壊れてしまいそうである。「春...