『ランスへの帰郷』

 

 ディディエ・エリボン著 塚原史訳 三島憲一解説 みすず書房
  2020年(原著2009年)

 

 ディディエ・エリボン、1953年、フランスの地方都市ランスで生まれ、労働者の貧困家庭で育つ。貧困階級としては例外的に高等教育を受け、パリの知識人の世界に入る。『ミシェル・フーコー伝』など多くの著作を著し、ゲイとして活動する。フランスでは、行動する思想家として知られる。(以下ほとんど、本文中からの引用で、地の文が紛らわしく混在している)

 

 両親に会うつもりはなかった。私はすでに家族を避けて暮らしていて、彼らと再会したいとは少しも思わなかったのだ。
 冒頭のパラグラフで、この文章に出会って、読みたいと強く思った。

 人間は家族から切り離されても生きていけるし、自分の過去と過去を満たしている人びとに背を向けても、自分自身を作り出して生きられる。

 憎しみの対象だった父親が死亡し、ランスに帰郷する。
 ジェームズ・ボールドウィンの「帰郷の旅を避けることは、自分自身を避け、「人生」を避けることだ」にも押され、自らの半生を省察する。

 私たちは現代政治の動向から出発して、支配と服従のメカニズムがどのように作動したかについて考察するために過去を振り返る。

 私はこれまで、支配のメカニズムについてはあれほど多くのことを書いてきたのに、社会的支配についてはなぜ一度も取り上げなかったのだろうか?

 都会に出て新たな人間関係のネットワークに入り込み、ゲイの世界を発見して、ゲイとしての自己を再創造するという、ゲイの若者の典型的なコースをたどると同時に、私の人生のもうひとつのコース、社会的なコース、「階級隠蔽者」としてのコースをたどることになった。

 現在の労働者層の実情には内面の奥深いところで、拒絶感を覚えてしまうことを告白しなければならない。「結集した階級」あるいは結集可能で、理想化され、英雄化された階級という概念は、それを(潜在的に)構成する個人とはかけ離れている。そして、民衆階級と呼ばれた(今でも呼ばれる)階層と直接接触することを、私は嫌悪するようになった。
 私の関心とはほど遠い彼らの関心事や、執拗で単純なレイシズムが会話のたびに頻出する場にはついていけなかった。

 当時の私の体験の意味をはっきりと認識したのは、アニー・エルノーの、両親との関係と「階級的距離感」をテーマにした数冊の著書を読んでからである。

 私たちは、自分もそうなるにちがいない他者の姿を通じて見えてくるイメージによって、自分が現在何者であり、これから何者になろうとしているのかに関して自己を再確認することになる……。こうした体験が、自分に約束された未来と、それと同時に自分の社会的出自という自意識に刻み込まれた痕跡を否認したいという執拗で根深い意志を私の内面に植えつけることになった。

 性的マイノリティとして生きるアイデンティティを模索しながら、一方で「階級隠蔽者」として生きる。

 ゲイであることを公表し、背負って生きることが、労働者階級、貧困層の出自であることを公表するよりもまだ楽だった。文化的に階級を上昇することがゲイを生きるうえでは楽だったし、知識人として生きるという願望を現実のものとする手段だった。

 私は自分の個性や人物像ばかりでなく、自分の教養まで捏造した。

 なぜ、ある種の人びとが他者の憎悪の対象となるよう定められているのだろうか? なぜ、人口のいくつかのカテゴリーが――ゲイ、レズビアン、性転換者あるいはユダヤ人、黒人など――、あの社会的、文化的呪いという重荷を背負わなくてはならないのだろうか?

 私たちがともに生きる必要があるこの呪い。この有罪判決は、自分自身の最深部に安全の不在と傷つきやすさの感情、そしてゲイの主体性を特徴づけるある種の漠然とした不安を定着させる。

 自分を再創造し、自分の生き方を改めて規定するために企てる必要があった研究の過程で書物が決定的な拠り所となった時期、ありのままの自分を引き受ける決意を固めた時期に、最初に頼りにしたのが、ミシェル・フーコー著、『狂気の歴史』だった。私はもはやゲイであることを恥じて、苦しみながら人生を送るつもりはなくなった。

 恥が誇りに変貌する瞬間だ……。そして、この誇りは正常性と規範性の最深部のメカニズムに挑戦することになるので、一貫して政治的なものである。

 ゲイを生きることは恥辱を与えられることでもある。それを知識人として武装することではね返す契機を得られる。

 貧困層として生きる恥辱をはね返すばねは、革命思想を身にまとうことでも得られる。エリボンは、リセの生徒の頃、トロツキー派の活動家だった。16歳から20歳まで極左組織に所属するが、知識人として生きたかった、それで生活の糧を得たかったので離れた。

 マルクスの概念を使いながら労働者と連帯するということは、労働者とはまったく違ったエレガントな生活をするということである。

 父は労働者階級に属していることに昔から誇りを感じていたが、底辺労働者階級であることは数多くの屈辱をもたらしたし、父の人生にまさに「不吉な限界」を課した。そのことが、彼の内面にある種の錯乱的感情を刻みつけ、一生消えることがなかったから、彼は他人と関係を結ぶことがほとんどできなくなっていった。

 一方で、祖母はあきらめによって、自分の人生の状態をおそらく避けられない運命のように受け入れることができた。

 学業からの排除は、しばしば排除される側の自発的意思表示を通じて、つまり貧困層が排除されることをみずから選択したかのように行われる。排除を排除と感じない。それが世間の秩序というものだ。貧困層にはこの秩序がどのように機能しているのかが見えていない。

「不平等」という言葉自体がそこで問題とされる状況、つまり搾取の剥き出しの暴力を非現実化する婉曲表現であるように、私には思えてくる。労働者の肉体は、その人が老いるにつれて階級格差の存在という真実を、誰の目にも明らかな事態として見せつけるのだ。

 支配階級の価値観をけっして共有しなかったという点では、私は思春期まで過ごした世界に連帯感を抱き続けた。~ある種の階級的条件反射のようなものはいつまでも残ってしまう。

 1950年代、60年代、フランスの労働者層で共産党の力は強かった。エリボンの両親も、選挙では共産党に投票していた。それが今では極右の国民戦線に投票している。

 1981年、フランソワ・ミッテランが大統領となり、共産党が参加する政府を発足させたが、庶民層の強い失望と、信頼して投票した政治家たちへの不満をもたらした。

 左翼諸政党や左翼知識人は統治される者の言葉ではなくて、統治する者の言葉で考えて語るようになり、統治される者の名において(そして彼らとともに)ではなくて、統治する者の名において(そして彼らとともに)自己を表現するようになったのである。

 左翼諸政党や左翼知識人は統治される者の視点を尊大ぶって退けて、統治する者の視点で世界を見渡すことを選んだことになる。

 抑圧か闘争か、社会構造の再生産か変革か、階級対立の無力化か活性化かといったあらゆるアプローチを無効にするための、偽善的で狡猾な、もうひとつの知的戦略にすぎない。

 1980年代と1990年代にかけてフランス知識層に右翼的思想の覇権を押しつけたイデオローグたちは、レイモン・アロンを援用していた。

 労働者の子どもとして生まれ育つと、階級への帰属意識が血肉化される。エリボンは、アロンに対して、膚感覚に近い嫌悪を抱いている。

 アロンという人物とはこれまでの人生で一度だけ出会ったことがあるが、彼を見た瞬間から、そのうわべだけの微笑や、いかにも優しそうな声など、落ち着きはらって、理性的な雰囲気を誇示するふるまいに憎悪を感じたものだ。そうしたふるまいは、結局、富裕で、イデオロギー的には穏健な彼のブルジョワ的気質の表現以外のものではなかった。

 私はまるで息をするように平気で貧民を侮辱する階層に対して、今でも嫌悪を感じる。

 体制内の左翼要職者たちは、みなテクノクラート的な権力者を養成するENA(国立行政学院)か、その他のブルジョワ学校出身者で、そこでは政治の左右を問わなくなった「支配的イデオロギー」が創り出され教えられており、労働者のアイデンティティは、そうしたエリートによって軽蔑されないまでも無視されることになる。

 エリボンは、新たな展望を模索する。

 尊厳とは不安定で、自分では確信が持てない感情であり、そのための徴(しるし)や保証が必要なのだ。尊厳を持つためには、自分が取るに足らないその他大勢や統計表か会計帳簿上の単なる数字として、つまり政治的決定に関して発言力のない操作対象としてみなされているという印象を抱かずにすむことが要求される。

 社会運動や批判的知識人に課される任務は次の通りだ。社会組織、特に民衆的諸階級の内部で作用するネガティブな激情を消去するのではなくて――それは不可能な任務だ――、この種の激情を最大限に中立化することを可能にする理論的枠組みと政治的現実認識のスタイルを構築すること。これからの社会について、これまでと違う複数の見取り図を提供し、新たに左翼とみずから名乗ることができるような組織のために、未来を素描すること。

 私たちを政治の主体として創出するものが言説や理論であるなら、社会のどんな側面もけっして見落とさず、抑圧のどんな領域も、支配のどんな勢力圏も、劣等感のどんな割り当ても、侮辱的呼びかけに結びつくどんな恥の感情も、認識と行動の地平の外部に取り逃がさないことを私たちに可能にするような言説と理論を構築する試みこそが、私たち課されているのではないだろうか? それは政治的場面に、これまでそこでは聞こえなかったし、予期されてもいなかった新たな問題と新たな声を反映しようとする、あらゆる新しい運動に私たちが対応する準備を可能にする理論なのではないだろうか?

 主体性を傷つける恥の感情(スティグマ)が媒介する社会的無力感との断絶こそが、世界への新たな視線をもたらし、新たな政治的展望をひらくための課題となる。

 

 「エリボンは、ジェンダーと階級と人種の差別に抗して行動する思想家として、困難な時代の先頭に立っている」と、塚原史はあとがきで述べ、解説を書いた三島憲一も「政治的場面に……新たな声を反映しようとする……新しい運動をめざしている」という。

 2018年5月、イギリスの『ザ・ガーディアン』紙の取材に、エリボンは「新しい左翼のレジスタンスを形成しようとする若い世代の力が、私に希望を与えてくれる」と、語っている。

 

 『ランスへの帰郷』のなかで、かくべつ親近感を持ったのは、小説を書きたいとずっと思い、実際書きはじめたが、アラン・ホリングハーストの似たテーマの小説を読んで打ちのめされ、書きかけの原稿を「文字通りの意味でゴミ箱に投げ捨てた」というところだった。私も似たような体験をした。それ以来、小説を書きたいと思わなくなった。

 『ランスへの帰郷』は、どういう本に影響を受け、どういう本を血肉として自分を育ててきたかの省察でもある。ベルリンでの講演会では、「世の中には、すばらしい本がある」という言葉から始められたと、三島憲一は語っている。

 エリボンは私より4歳下なので、同時代を生きていると言える。読んだことはほとんどないが、知っている著者名の羅列。好きな著者の名前がでてくるとうれしくなる。私は、お勉強しかしてこなかった、と思う。学び直したいと身体が反応する。

 人生は長い。何かを始めるのに遅いということはない。コツコツ独学で好きなことをやれたら、至福だろうなと思う。

 

 

 

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