『こんな風に過ぎて行くのなら』

 

 浅川マキ著 石風社 2003年

 

 浅川マキという歌手がいた。

「時代に合わせて呼吸するつもりはない」

 浅川マキのオリジナルの言葉ではないらしいが、あの当時、ある一定の層の人々は知っていた言葉だと思う。

 60年代から70年代、そして「その後」の時代、遠い時代。まだ、言葉に力がこもっていた時代。

「“アンダーグラウンド”という感覚は、野音でやろうと地下でやろうとね、その日の音、客席の放つバイブレーション、そしてこちらが放つバイブレーション。その三つが重なって生まれるものなんです。~今この時というものを……個人の危機感とか世界の危機感もはらんだこの時を表現していく。そういうものだと思っているんです」

 どれだけ、ライブに通っただろう。

 印刷され活字になった詞はなかなか受け入れがたいところもあるが、ひとたび、彼女の声と音の世界に包まれると、まるで自分の世界のように感じてしまう。忌避感など雲散霧消して、心が共振してしまう。あの場に居合わせた多くの人々も同じ共振に酔っていたのだろう。

 他の人は知らない。私にとっては、あの声にあるのだろうと思っている。何も知らないではじめて聴いたとき、あの声に希望を感じると思った。それは人を導く希望ではない。自分自身に持つ揺るぎのない肯定感のような。だから生きていられるというような。

 私は、音の世界にとても鈍感。生活のなかにBGM的な音はいっさいない。意味を持つ言葉としての音だけを選択的に聴いている。世の中の音の美しき世界から完全に疎外されているなと思う。音の貧しさのなかに安住している。

 音の世界で私が浸りきったのは、唯一浅川マキだけだった。そうとう長い間浸っていたが、生活に追われるにつれ、遠ざかった。生活の地平からは、遠い、遠い世界だった。

 2010年1月17日、名古屋の公演に出てこないので行ってみると、ホテルで亡くなっていたという。急性心不全だったらしい。彼女らしい最後だと思った。なぜかよかったなとも思った。3月4日に、新宿ピットインでお別れの会があった。

 野坂昭如が、「あなたは、最後は、養老院で誰にも相手にされずに、あたしゃね、これでも昔は、ちっとは名の知れた歌手でね、と言っているだろうよ」と、言ったとか。そういう最後も悪くはないと思う。

 

 

 

 

 

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