今回は、「受容」をテーマにして、そして100回でひとまず区切りをつけよう。セラピーの役割は果たしたし。
「仕事」のように日常性に組み込むことで、生活にメリハリができる。何もない日々を暮らすのが楽になる。堀田善衛の『時間』のなかに、内発性と日常性を日々の仕事を通して結びつける描写があったが、私の生活の姿勢もそのようにありたいのだと思う。
この「仕事」がなくなると、日々の暮らしを支えるものがなくなってしまうかもしれない。精神衛生上よくないかもしれない。
何か目的を持ってブログを再開できるのが一番だと思うが、どうしたものか……
などと、のんきなことを言っている場合ではないのかもしれない。世の中は恐ろしい勢いで戦争に向かっているように思える。「戦争のできる国」から「戦争をする国」へ。
年内に「安保3文書(国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防衛計画)」の改定が行われそうだという。後戻りできないところに突き進んでしまいそうだ。ここが正念場のはずだ。
どうしたものかと思う。
などと悠長に、他人事みたいに言っている場合ではない!!!
と、思う。
と、思う、のだけれど……
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