石井裕也監督 2021年
主人公が「いつも笑っている」というのをコメントの片隅でみて、虐待の連鎖を扱った映画かと思ったが全く違っていた。社会の底辺でおしひしがれている人たちの息苦しさ、どうしようもなさ、無力感、屈折する怒り、怒りすら真っすぐに相手に向け得ない、二重、三重の抑圧状態。一人は自殺し、一人はそれでも私はこうやって生きていくしかない、こうやって生きていくのだと、世間に宣言しているような映画だった。
中学生の息子純平を一人で育てている良子。昔、お芝居をやっていたことがある。カフェをやっていたが、コロナで閉店を余儀なくされる。夫は高齢運転手の暴走車にはねられ死亡。相手は弁護士を立て、お金ですべてを解決しようとする。良子は賠償金を受け取らない。一言謝ってほしいのだと。
良子は、昼間は花屋で、夜は性風俗店で働いている。高齢者施設にいる義父の面倒を見、亡夫が外でつくった子どもの養育費も仕送りしている。良子は性風俗店でも家計簿を付けている。映画の中で、いろんなものの金額が、数字が、ストレートに画面に出てくる。切実さが如実に表れ、格差が浮かび上がる。
純平は母親の仕事ゆえにイジメに遭っているが、成績はとびぬけている。
性風俗店の同僚ケイは同居人に暴力を受けている。
良子とケイは居酒屋で飲みながら、愚痴を言い合いながら、心を通わせる。
良子は昔の同級生に出会い、離婚したと聞き、付き合い始め、結婚も考える。風俗店で働いていたと話すと、相手の態度は豹変し、離婚も嘘だと言う。良子は包丁を持ち出し、男を刺そうとする。
ケイは父親に性的虐待を受けていた過去をもつ。同居人の子どもを妊娠するが中絶させられる。その過程で末期の子宮頸ガンだとわかる。貯金していたお金をおろし、良子に渡すように風俗店の店長に頼み、ビルの屋上から飛び降りる。
良子の真っすぐな生き方。抑圧され、おしひしがれ、怒りさえ内向せざるを得ない暮らしのなかで、穏やかさの底に、自分を爆発させることができる芯の強さを持つ。義父のいる高齢者施設では、ミニコンサートなどがリモートで開かれていて、良子も一人芝居を演じさせてもらう。芝居のたたずまいが、こうやって私は生きていくのだと、宣言しているようだった。
ケイの葬儀の後、自転車の後ろに純平を乗せた二人乗りのシーンがよかった。
純平が「俺、負けそう」と言い、良子も「わたしも」と応える。そして純平は、良子に「大好きだ」と。
母と息子の歪みのない、真っ当な関係がまぶしかった。
ひっそりと筋を通して生きる生き方。かつて(バブルの前頃まで)も、当たり前とは言えなかったと思うが、それでもそういう生き方を受け入れる下地はあったように思う。そうした生き方ができないことを恥じる感覚もあったと思う。今では拝金主義に骨の髄まで染まっているので、理解できない、不思議な生き方と捉えられてしまうのが社会の共通認識のよう。
私自身、筋を通すより安逸な生活を選びそうで、足元が崩れてしまいそう。というか、とっくに崩れているのかも。
筋を通す生き方で思い出した。私の少し下の世代くらいまでは名前を聞いたことがあると思うが、秋山駿という文芸評論家がいた。自分の家を持つことを拒否して、一生団地住まいだった。
まだ若かった頃(今と比べてだが)、荻窪のカルチャーセンターで彼の講座を1年くらいだったか受講した。講座が終わった後、プチ飲み会みたいなのが毎回あった。それが私は楽しみだったが、生意気で、今以上に病んでいたので嫌われてしまった。一つの経験としてやっと思い出せるようになった。
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