中山七里著 NHK出版 2018年
生活保護制度を真正面からとりあげたサスペンス。同じ福祉事務所の職員だった二人が餓死体で発見される。二人に強い恨みを持っていた犯人の目星は早くにつけられるが、あまりに単純なのでこのままでは終わらないだろう、裏があるのだろうとは誰でも思う。
生活保護行政の現場が生々しく膚を刺すように描かれていて、引き込まれる。そして最後のどんでん返しはそうきたのかと満足した。
第1章 善人の死
震災から4年後、仙台市青葉区の福祉保健事務所保護第一課課長、三雲忠勝の餓死体が廃墟に近いアパートで発見される。三雲は衆目の認める善人だったという。
第2章 人格者の死
県議会議員、城之内猛留の餓死体が発見される。城之内も人格者で通っていた。
絞殺や刃物で刺し殺すのではなく、餓死という方法は強い殺意と恨みを感じさせる。
被害者二人は、8,9年前、塩釜福祉保健事務所で、三雲が生活保護申請の窓口担当、城之内はその上司として2年間重なって勤務していたことがあった。
第3章 貧者の死
生活保護の現場、実態が、実際の事件の説明も援用しながら描かれる。
〈現実は小説と同様凄惨である。以下、参考として〉
セーフティーネットとしての生活保護は、現場では矛盾にまみれている。政府は社会保障費1割減を提案し、現場は「水際作戦」と称して、受給者数を調整している。
2007年、北九州市では生活保護を辞退させられ、「オニギリ食いたい。25日、米食ってない」と書き残して餓死した男性。北九州市では他にも、2006年、申請を拒否された男性が餓死している。2005年には申請を拒否され自殺した女性がいた。孤独死も枚挙にいとまがない。
北九州市のやり方(第三者委員会報告によると)
①窓口に来ても申請書を渡さない(「水際作戦」)
②自立するよう求め、生活保護の辞退をしつこく迫る
③数値目標(各職員の申請書の交付は月5枚まで、廃止ノルマは年間5件など)
このやり方は「北九州方式」として、国から評価されていた。
2012年、札幌市で二人暮らしの姉が病死し、障害のある妹は凍死。姉は生活保護の相談に区役所を訪れたが、支援を受けることはできなかった。
あれだけ世間を騒がせた「北九州方式」は廃止されることもなく、全国の現場でその後も行われていたということだろう。そして、恐らく今も行われているのだろう。
こういう福祉の現場では、真面目な人ほど精神を病んでしまうのではないかと心配になる。そして適応できる人だけが残っていくのかもしれない。適応の行きつく先は、生活保護の申請者を対等な人間とはみなせない態度として、見下すような態度として表れるのだろう。〈以上〉
「肉体的にも精神的にも追いつめられた申請者が、福祉保健事務所の窓口で更に追い詰められるという構図」を見せつけられて、県警捜査一課の笘篠誠一郎は不快感を募らせる。
第4章 家族の死
遠島けいは、電気、ガスを止められ、生活保護の申請に三度福祉事務所の窓口を訪ねた。三雲に、言葉つきは丁重だが冷たくあしらわれ追い返された。その後、水道も止められ、餓死した。
遠島けいには、身内ではないが、家族のように、子どものように親しんでいた二人がいた。その一人、利根勝久は福祉事務所に乱入し、三雲と城之内に暴力を振い、その夜庁舎に火をつけた。そして、懲役10年の判決を受けた。
第5章 恩讐の果て
当時の塩釜福祉保健事務所の所長は、上崎岳大だった。3人目の被害者になるのではと予測されていた。
利根は模範囚として過ごし、8年で出所した。三雲が連れ去られた1週間前だった。当然容疑者として、身柄の確保が最優先された。
生活保護制度の矛盾や不条理。格差と分断。自己責任論。
最近も、ネットで人気者らしいダイゴとかいう人の生活保護蔑視発言があった。まるでヘイトスピーチのような悪意と品のなさに吐き気を催すようだった。もう少しさかのぼると、国会議員の片山さつきなどの蔑視発言もあった。これらは一般の人たちの心理を代弁しているという思いがあるから、厚顔な顔つきで、恥ずかしげもなく発言できるのだろう。
私だって、いつ生活保護のお世話になってもおかしくないので、他人事だとは思えない。
生活保護に対する蔑視は普通の人々のなかにも根強くある。この差別意識は、少し飛躍するが、お金がすべてという価値観によって自分の人間性を疎外されているからではないかと、私は密かに考えている。
映画版も観た。構成を大きく変えてあった。犯人像を大転換したのはみごとだと思った。震災を全面的に打ち出していたのはあまり感心しなかった。
遠島けいが、原作では覇気のある、大らかな、たくましい人間から、壊れてしまいそうな弱々しい人間に変貌していくところに心塞がれたが、映画では人の好い、やさしいおばあさんという感じだったので、ちょっとがっかりした。
生活保護申請の現場で、生活保護はお上からのお情けではなく、今まで一生懸命に生きてきたご褒美なんだという説得はいいなと思った。高齢者にとって、権利だと言われるより、ずっと心に響くだろう。現場の職員や法律を立案策定する役人たちにこそ、この考え方の真髄を身につけてほしい。
他者に対して敬意をもつという姿勢が、「公」の現場やそこに影響を与える人々に欠落している。だから「北九州方式」などというやり方が罷り通っているのだろう。
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