マウスが使えなくなって、パソコンが操作できなくなって、愕然とした。私の生活、世界は、パソコンを通してネットと繋がることで成り立っているのだと。一人暮らしを支えているのはネットなのだと。
東日本大震災の時、テレビを持っていなかったので、やっぱり災害の情報はテレビを通して目で見ることは必要だと、テレビ視聴できる、結構高いパソコンを買った。一生ものだと。その後バージョンアップが必要な時は腹立たしかったが何とか対応してきた。
私は機械オンチなので、サポートのしっかりしたところを選んできたのに、腹立たしいことに最近では、古い機種なのでサポートは終わったと言われる。テレビも見れなくなった。以前は問い合わせると、簡単に繋いでくれたが。もともとそんなにテレビを見たいわけではないから、別にいいのだけれど。
落ち着いて考えた。
パソコンのない世界。ネットに接続できない世界。メールはどうするか。人付き合いはほとんどないので、固定電話でなんとかなるだろう。ネットで、双方向で繋がっているのは図書館の予約システムだが、これも何とかなるだろう。ネット通販はなくても不自由はしない。後は、このブログだけ。
ブログは支えてくれた。でも100回までいったら、セラピーとしての機能はそれなりに満たされたとも思う。外の世界と繋がっているというだけで救われている気もしたが、区切りをつけてもいいかも。
パソコンの本体が壊れたら、もう買い替えることはしないという前提で、生活を作っていくことができるか。ネットの世界を離れたら、欲しい情報は入ってこない。新聞は腹立たしいほどつまらなくなった。かつてのように、私が欲しい情報を伝えてはくれなくなった。
それでもいいと思う。 私は私の生活をデザインしよう。
と、かっこよく見得を切ってみても、
う~ん、う~ん、
すぐにボケてしまうかも。
最初、ブログはnoteで始めた。noteは合わなかった。中の人がいて、人の目に触れるように操作されることが、不快で仕方がなくて止めた。そして、悪戦苦闘してブログを立ち上げた。
何にも左右されずに、ネットという虚空のなかに漂っている感じがすごく気に入った。ネットの世界では、言葉だけの嗜癖のような世界に住んでいられるということが。
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