映画「プリズナーズ」

映画

 

 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督 アメリカ 2013年

 

 母と息子を題材にした映画はたくさんある。私も好んで観てきた。母と娘、父と息子を扱った映画も多いと思う。父と娘はどうか。これもたくさんあるだろうが、私が観たいと思うものは少ない。父による支配とコントロールの物語は、現実の世界がそれに依拠し、巧妙にカムフラージュされているので、父が娘を守り抜くというようなお話に還元されやすい。

 「プリズナーズ」もその線を越えているとは思えないが、父と娘の物語を入れておきたくて取りあげた。新聞広告に大々的に宣伝されていたのに惑わされて、2014年にレンタルDVDで観ている。「まあまあの映画だった」と感想を書いていて驚いた。私のなかでは、父親に対する反感が強く残っていて、印象の悪い映画として記憶に残っていたから。

 よく作りこまれた映画ではある。父親の父親は、6歳のときに自殺している。このことが父親の性格形成、行動に影響していると示唆している。それでも、こんなことあり得ないだろうというような、刑事が娘を助けるカーチェイスのような顛末はかえってしらける。

 なぜ「まあまあ」という感想をもったか。
 娘を誘拐された父親が、犯人と目された男を自らの手で誘拐し、拷問して娘の居場所を聞きだそうとする。犯人は、犯人と目された男の伯母で、実は犯人と目された男も最初に誘拐された子どもだった。犯人は父親を車の下の地下穴蔵に閉じ込める。そして、犯人は刑事に殺される。

 警察が現場検証をしても、父親は見つからない。一生見つからなくて、遠い将来に新しい持ち主が穴蔵を発見して、中から白骨遺体が見つかると想像した。神になりかわって裁こうとしたので、神になりかわって裁かれた、みたいについ感じてしまった。

 またまた今回も解説をあれこれみて、最後に刑事はホイッスル(娘が落としたもの)の音を聞くことになっていた。私にはホイッスルの音が聞き取れなかったので、救いがないと思って、「まあまあ」だと思ったのかもしれない。救いがない映画はおしなべて好きだ。

 

 父親に反感をもった理由。「愛する娘を奪われ、狂気にとらわれた父親が取った行動とは!?」 センセーショナルに、広告にとりあげられていた。それで観たくなったわけだが、安直すぎる気もして、感情移入できなかった。自分の勘のみを信じて、他人に暴力を振っていいのか。そんなことが許されるのか。子を持つ父親は感情移入したらしい。私は、犯人と目された男のほうに感情移入していたのだろう。

 父親に感情移入できる人間と、できない人間。他人に支配的になれる人間と、支配される側に自分を置いてしまう人間の差ではないか。私があの父親に反感、不快感、嫌悪感をもった理由がここにある。

 

 

 

 

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