『1★9★3★7 イクミナ』

 

             

                     

 辺見庸著 河出書房新社 2016年

 

 2000年前後だったか、辺見庸の講演会によく行った。ジョゼ・サラマーゴの『白の闇』を引きながら、新しいファッショの形、「私たちのファシズム」「ソフトなファシズム」が定着しつつあるのではないかと憂い、憤られていた。「言葉だけが最後の砦」であり、「言葉を駆使して、武器として、認識を深めていく必要がある。他者をていねいに、ていねいに考える。あきらめない」と言われていたのが、心に残っている。会場で、クラスター爆弾の破片を回して、皆に見せてくれたのも忘れられない。実物を手に取ってみて、戦場で理不尽に亡くなっていく人の姿が心に焼きつくようだった。

 それから20年が経ち、日本の現状は目をおおうばかりになっている。
 そんななかで、『1★9★3★7』を再度読み返している。「記憶の墓をあばく」というすさまじく暗く重たい熱量。目を見開き、見たくないもの、隠れているもの、隠蔽されているものを見ようという意志のほとばしり。負の歴史に対峙するとはこういうことなのかと震撼させられる。
 「ゲッベルスと私」のポムゼルと対極にある生のかたち。

 

 「かつて「ヒットラーを羨望させた」(丸山眞男『日本の思想』)ほどのニッポンのファシズムは、新たなよそおいで、古くかつ新しい妖気をはなちつつ、いままた息を吹きかえしつつある」という現状認識のもとで、「げんざい、戦争と暴力にかんする、じんじょうではない、重大ななにかが生起している。その「いま」と未来をかんがえるために、かつてなされた戦争の、とくにその細部(ディテール)についてかたる」と、暗く重たい情念がとぐろを巻いているような文章で、辺見はこの本を書いている。

 なぜ1937年なのか? 1937年の南京虐殺を筆頭に、日本軍は中国大陸でおびただしい数の人々を殺し、強姦し、略奪した。日本軍を構成していたのは辺見の父親世代である。
 「父祖たちはおびただしい数のひとびとを、じつにさまざまなやりかたで殺し、強姦し、略奪し、てっていてきに侮辱した」のである。「『戦争の記憶』(ちくま学芸文庫)の著者イアン・ブルマに言わせれば、大虐殺事件は「人間の想像力の限界が試される」できごと」だった。

 辺見は問う。「1937年のような実時間に、じぶんがどうふるまい、なにをかたり、なにをかたらないで生きることができるのか」と。そして、「つきるところこれだけが本書のテーマなのである。すべてを時代のせいにすることはできない」と書く。

 辺見は父親に、中国大陸で民間人を殺したかどうかを訊くことができなかった。
 「訊かないこと――かたらないこと。多くのばあい、そこに戦後の精神の怪しげな均衡がたもたれていた。日中戦争期には、気まぐれで、無造作な、およそなんの理由もない、交戦の結果ですらない、非武装の民間人への一方的な殺人が日常的になされていた。多くのニッポン人がそうした殺人を「戦争」の名のもとに帳消しにし、きれいさっぱりと忘却している」
 武田泰淳の小説「審判」は、それらの殺人は「鉛のような無神経」な状態でなされていた、と描写している。

 日本人が総体として、戦争の負の記憶を忘却しているからこそ、記憶の墓をあばかなければならない。
 「墓あばき」――「それは陽の光に晒されるべきではないと権力者たちだけではなく世間のみなに配慮されて、じっさい大っぴらに晒されてはこなかった、目も耳もうたがうほどのグロテスクであり、それとうらはらの秩序と統制、そして、細かい網の目状の管理と「おもいやり」と自己規制と相互監視と無関心にうらうちされた、壮大な沈黙と忘却である。それらは敗戦とともにかんぜんに清算され消失したニッポンの心的機制なのではなく、敗戦後もほとんど無傷で生きのこり、表面はじんじょうをよそおいながらも、まったくじんじょうならざるげんざいと未来を形づくっている古くからのメカニズムでもある。である以上、いまといまの行く末を知るために記憶の墓があばかれなければならない」

 

 「風景に責任をもつ。あきらめない」と、かつて語った人は血みどろの闘いを今も続けている。

 

              

 

 

 

 

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