映画「ゲッベルスと私」

映画

 

 

              

 

 監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、
    オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー 
 オーストリア 2016年

 

 ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼル(103歳)のインタビュー記録。映像では彼女だけが映り、話している。背景は黒で、BGMも、説明もない。アーカイヴの映像資料(第二次世界大戦中に製作されたニュース、教育、プロパガンダ映像)が適宜差しはさまれる。尊厳がそぎ落とされた骨と皮ばかりの無惨な死体の山。それを単なる物体のように扱う映像などが強烈な印象を残す。

 ポムゼルは、「過去にドイツのイエロー・ジャーナリズムの取材でセンセーショナルに取り上げられ」たため、最初はインタビューを拒絶したという。監督たちは無理に説得せず、「1年以上かけて信頼関係を構築」し、「彼女を撮影する条件として、彼女のインタビュー映像には何も説明を付けず、映画には当時のアーカイヴ映像を挿入することだけを条件に、取材に応じてもらうことに成功」した。
 101歳のポムゼルに出会い、残された時間の少なさに焦りを感じなかったようにみえる監督たちの豪胆さにも敬服する。

 ポムゼルは1911年、ベルリン生まれ。1942年から1945年までゲッベルスの秘書として宣伝省で働く。終戦後、ソヴィエト軍に捕らえられ、5年間、強制収容所で過ごす。1950年に解放され、1971年の定年退職までドイツ公共放送連盟で働く。2017年、ミュンヘンの老人ホームで死去。享年106。

 ゲッベルスは1897年生まれ。ナチスの国民啓蒙・宣伝大臣として、大衆をナチス支持へと煽動した。1945年5月1日にヒトラーの自殺を追って、総統地下壕で家族とともに自殺。

 

 「放送局で働こうと、宣伝省で働こうと、与えられた場で働き、良かれと思ったことをした」と語るポムゼルは優秀な職業人だったのだろう。
 そして、強制収容所の実態は知る由もなかった、忽然と消えたユダヤ人は人口が減少したズデーテン地方に移されたと信じていたという。「私たちは何も知らなかった。とうとう最後まで」とポムゼルは語る。
 白バラ運動のシェル兄妹については、ギロチン刑は残酷だと思うが、「あんなビラをまいたから」当然だというように語っている。

 1943年2月18日のベルリン・スポーツ宮殿でのゲッベルスの演説は大衆を熱狂させた。ポムゼルもその場にいた。「たった一人の人間にみな魔術をかけられてしまった」と語る。そして、「ユダヤ人の気質は伝染性だ。~必要なら最も過激な手段でユダヤ人どもに立ち向かう所存である。~国民よ 立ち上がれ! 嵐よ 吹き荒れろ!」というゲッベルスの演説の映像が流れる。

「どこに真実があるのか自ら探索することなく、過去への省察を避けることで、困難な20世紀という時代を生き延びた、ある典型的なドイツ人の人生の形姿である」と、石田勇治は映画のパンフレットに書いている。それが、原題「あるドイツの生」に繋がっている。

 ポムゼルの語りは誠実だ。嘘があるとは思わない。それでも、「知ろうとしなかったこと」「見ようとしなかったこと」「見たいものしか見ようとしなかったこと」に対する責任を問うのは過酷なことだろうか。「この映画は決して歴史についてだけの映画ではない。むしろ現代についての映画なのだ」と来日した監督は語っている。

 

 クロード・ランズマン監督の9時間30分のドキュメンタリー「ショアー」を思い起こした。そこでもBGMを排し、強制収容所の生還者やナチス将校、収容所の近くで暮らしていた人たちから延々と話を聞き続けていた。

 

 「醜いしわにギョッとした」と新聞の映画評にあったが、私は美しいと思った。皮肉ではなく、自分の見たくないものは見なかった、そんな人の年輪を重ねた美しさだと思った。103歳でかくしゃくとしている。

 自分が何をしたか、何をしなかったか、そういう問いの立て方ではなく、私は精一杯生きた。あの時代、仕方がなかった。仕事に誠実に生きた、と語る姿。同時に、私は知らなかった、と語る姿。「悪は存在する。正義なんてものはない。私に罪があったとは思わない。あの当時に生きていたら、みんな逃れることはできなかった」という彼女の思いは、当時を生きたドイツの普通の人々の思いでもあるだろう。

 自分に何かができたのではないか、と考えないから良心の呵責から逃れられるのだろうか。自己の正当化だろうか。結果的にはナチを、専制を、独裁を支えている。良心の呵責を感じる人は生き延びることはできないか、生き延びたとしても口を閉ざしているかもしれない。
 彼女がインタビューに応じたことには、歴史の証言者になろうと覚悟したことには、敬意を表する。

 

 映画のパンフレットに多和田葉子が、「年を取っても綺麗で長生きすることは無条件にいいことだとわたしはかつて思っていたが、権力に愛され、最後まで自分は殺人には加担しなかったと信じたレニ・リーフェンシュタールのことを考えると、長生きできる性格も考えものだと思う」と書いていたのが、面白かった。
「見たくないものは見ない」生き方ではなく、真剣に悩みぬいて生きる人はあんまり美しくは老いることができないかもしれないなどと、ポムゼルを見て思ったりした(しつこいが、私はポムゼルを美しいと思う)。

 

               

 

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