姫野カオルコ著 文藝春秋 2018年
現実に起こった事件に着想を得た書き下ろし小説。
「2016年5月11日、東京大学男子学生5人、強制わいせつで逮捕」
新聞の社会面のベタ記事で見た記憶があった。早稲田や慶應だけでなく、東大でもやっぱりこういう事件はあるのだなと思ったが、それ以上の関心は持たなかった。
この小説を読んで、後付けでネットでいろいろ調べた。小説での事件の内容は少し過激に脚色しているのかなと思ったりしたが、事実とほとんど同じだったので衝撃を受けた。経産省の事件を思い出した。
これは氷山の一角だろう。経産省の役人も、東大の学生も、歪んでいる部分、表に現れるのはごく一部で、深いところではもっと多くの部分が、時代の瘴気に毒されているのかもしれない。根腐れしているのかもしれないと思った。
「彼女は頭が悪いから」、これは加害男性の一人が裁判の公判で述べた言葉だという。
小説の最後の締めがこの言葉に呼応している。
彼らは美咲を強姦したのではない。強姦しようとしたのでもない。彼らは彼女に
対して性欲を抱いていなかった。彼らがしたかったことは、偏差値の低い大学に
通う生き物を、大嗤いすることだった。彼らにあったのは、ただ「東大ではない
人間を馬鹿にしたい欲」だけだった。
加害男性のうち、爽やかで好感度抜群のつばさの婚約者が白人男性から棄てられた体験を心の中で反芻する場面が心を引いた。
どんなに親切にしてくれても、白人という人種には、何世紀にもわたって有色人
種を下に見る感覚が骨身にしみついているんだなと思ったわ……。理屈じゃなく
て感覚として~
彼女は事件が報道されるとすぐに婚約を解消した。
また小説では、つばさを皮肉って、次のように書かれている。
つばさにとって美咲は? そんなことに思考を充てる無駄は、この勉強のできる
青年はしない。現代は、かかる思考をしていたらテスト競争から脱落する。
(つばさは、)速く計算して、ミスなく計算して、速く公式を使って、速く応用
して、速く記入して、正解数の多い答案用紙を提出できる優秀な頭脳の持ち主な
のである。
感受性がなめらかでなければ受験競争には負ける。受験技術に益のないことが気
になるようでは負ける。
上野千鶴子が東大の入学式の祝辞で、この本に触れていて、東大の男子学生に対する世間の目だと警告している。
『グロテスク』と同様に、こういう本が書かれてよかったと思う。フィクションとしてのほうがずっと伝わるものがある。読んだ後、被害者の女性のためにうれしかった。
美咲の大学の教授が美咲を慰める場面。どうみても現実的とは思えないし、小説として成功しているとも思えない。普段はこういう安易な慰めが入るのが嫌いなのだが、今回はこういう形ででも救いを入れてくれてよかったと心から思えた。あまりに美咲が踏みにじられるだけだったから。あるがままを誰かに受け止めてもらえること。これが傷ついた人間が究極に求めることではないか。ここを通してしか再生はないのではないかと思う。
最後に、東大での、著者を呼んでのトークイベントの文字起こしまで丁寧に目を通した。強制わいせつ事件と同時に、東大生をある種誇張して戯画的に描いてあるので、イベントがどんな内容だったかと興味をひかれたが、実のある集会だとは思えなかった。
「共感できない」「東大生を貶めている」と怒っていた教授と学生たちが、戯画を見事に現実に再現していて笑ってしまった。また、東大生や司会者や居並んだ教授などがこぞって、東大生だって挫折を味わうとか言っていたが、「バカか」と言いたい。著者が言いたかったのは、挫折の問題ではない。差別を受けたことがあるかどうかの問題だ。
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