つれづれに

 

 菅義偉首相が自民党の総裁選に出馬しないと表明。安倍政権下で、幹事長として人事で官僚を押さえつけて言いなりにし、その手法を首相になってもやってきたツケが回ったのだろう。

「日本という国の底が抜けてしまった」と言ったのは、高村薫だっただろうか。少し前のような気がするが、年寄りが少し前と思うのは何十年も前だったりする。最近の世相をみていて、そんなことを思い出した。

 なかでも、こういう世の中になってしまったのかと暗澹としたのは、経済産業省の若手キャリア二人が家賃支援給付金を詐取した事件。詐欺罪で起訴され、二人は認めているという。厚顔無恥とはこういうことかと思う。一人は大学卒業後メガバンクに就職し、どれくらい勤めたかわからないが辞めて、友人とコンサルタント会社を設立、内輪のトラブルで経営は頓挫。その後経産省に入省。口八丁手八丁なのだろう。経産省はこういう人間を優秀だと思っているわけだ。

 それから名古屋入管でのスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん死亡の件。遺族側の求めにより開示した文書約1万5千枚のほとんどが黒塗りだった。
 辺見庸はブログ(2021/08/18)に以下のように書いている。
   文書を開示せよと求めたら、いけしゃあしゃあと黒塗り文書をだしてくる神
   経。人間というより、なにか甲殻類のような理解不能の仕打ち。ツルリとし
   た卵形の顔のチンピラキャリアども。

 コロナ対応をみていても、古くは「安倍のマスク」から、最近では小池東京都知事が若者のワクチン接種啓発に向けて10億か使ってキャンペーンをするとか、しないとか。私たちの貴重な税金を使って、思い付きでやっているようにしか見えない施策が罷り通っている。政治家だけでなく、役人も仕事に対する誠実さみたいなものを失っているとしか思えない。

 朝日新聞読書欄(2021/05/01)に、「憲法と個人」というタイトルで本の紹介(蟻川恒正)が載っていた。『尾崎行雄 民主政治読本』(石田尊昭編)、『道化の文学』(高橋康也著)、『守柔 現代の護民官を志して』(守屋克彦著)の3冊が取り上げられている。

 尾崎は、先の戦争で、「多数の国民はドン・キホーテでなく愚かなサンチョ・パンサであったろう」と書いている。従者であるサンチョに責任は問えるのかと蟻川は問い、サンチョは最初の冒険で主人の狂気を見抜いていたのだから、「正直さ」を貫くことで責任をとらなければならないと答える。

『守柔』の著者守屋は、1971年の青年法律家協会裁判官再任拒否事件の後も協会を脱退しなかった。「職責を果たすためには、自分に嘘をつかないことが最低限必要である。同じことは、すべての公務員にも、国民一人一人にもいえる。「正直さ」を保つことは、栄達の道も閉ざしかねない、心細い道である。」と蟻川は書き、「我々は、「たがのはずれたこの世界を正す」責任を一人一人で担うことが求められた、サンチョ・パンサの子孫である。」と結んでいる。

 世相に照らして、心に染み入る文章だった。

 

 

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