映画「私はあなたのニグロではない」

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 ラウル・ペック監督 アメリカ、フランス、ベルギー、スイス 2016年

 

 ジェームズ・ボールドウィンの未完の原稿「Remember this House」を基に作られたドキュメンタリー。

ボールドウィンとラウル・ペック

 ジェームズ・ボールドウィン:小説家、劇作家、詩人、および公民権運動家。1924年、ニューヨークのハーレムで生まれる。1948年、パリに移住。1957年、シャーロットの高校に入学するドロシー・カウンツの写真を見て、アメリカ南部へ人種差別の実態を調査する旅に出る。1963年、キング牧師が「I Have a Dream」の演説を行った「ワシントン大行進」に俳優のチャールトン・ヘストン、マーロン・ブランドらと参加。アメリカ各地で講演旅行を行う。1987年、南フランスで死去。

 監督のラウル・ペックは、1953年、ハイチ生まれ。コンゴ、アメリカ、フランス、ドイツで学んでいる。

 ハイチは、アメリカ大陸で初めての自由の国であり、歴史上初の黒人による共和国であったが、西欧文明の正当性が失われてしまうことを恐れた当時の列強は、ハイチに厳しい経済制裁を課し、貧困に苦しむように仕向けた。そして、革命の物語を書き換えてしまった。

 そうした歴史を持つハイチ生まれということも、監督にとってこの映画を作る大きな原動力であっただろう。

 監督自身による作品解説で、「メドガー・エヴァーズ、マルコムX、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺という事実と歴史的背景が私のスタート地点となった」と語っている。「それは私が考える黒人に対する政治的・文化的信念、人種差別や精神的な暴力に関する自身の経験を本質的なところまで熟考させた「根幹」」と言えるもので、「声を、言葉を、そして説得力のある表現を、ボールドウィンが私に授けてくれた」とも語っている。

差別の根源にあるもの

 映画のパンフレットの見出しに「キング牧師没後50年。「自由と正義の国」アメリカの“黒人差別と暗殺”の歴史とは」とある。
 括弧つきの「自由と正義の国」アメリカ、国の内外にそれを信じる人々も大勢いただろうが、胡散臭いと思う人間もまたたくさんいた。その胡散臭さの正体が、ジェームズ・ボールドウィンという透徹した目を通して、あぶりだされる。

「テレビコマーシャルやハリウッド映画に溢れる「正しく美しい」白人の姿と戯画化された黒人のイメージ」「強制的に作られた黒人への偏見の歴史、無知や先入観が引き起こす“差別の正体”」を、証言や豊富な記録映像で突き付けられる。

 60年代の公民権運動から現在のブラック・ライヴズ・マターを踏まえて、アメリカの人種差別、ひいてはすべての人種差別の根底にあるものを摘出している。
 「黒人が何かをしたとか、しなかったのではなく、白人が勝手に役割を押し付けた。人種問題は白人が必要だった」
 「アメリカ人は精神が底なしに貧しく、人間らしい在り方を恐れている。アメリカ人が私的な自分を恐れていなければ、黒人問題を作る必要はなかった」
 「黒人の憎しみの源は怒りだ。白人の憎しみの源は恐怖だ。何の実体もない。自分の心が生み出した幻影に怯えているのだ」

他者を同じ人間だと認めない精神構造は、 人を怪物にする

 2014年、ミズーリ州ファーガソンでのマイケル・ブラウン射殺事件への抗議、暴動の映像の後、ボールドウィンの語りが入る。
「どうやって表現すれば、思慮が浅く、残酷な多くの白人に“自分はここにいる”と分かってもらえる? アメリカ国民は道徳心と優しさに欠けています。それが怖い。白人の多くは私を同じ人間だと認めていません。言葉ではなく、行動で分かる。そのことで彼ら自身が怪物になっています」と。

 メドガー・エヴァーズの映像の後、
 「若き白人の革命家は、一般的に黒人より夢見がちだ。やがて気づく。白人は夢を見たまま一生を過ごせる。黒人には無理だ。自分たちが立ち上がり、権利を主張することは、西洋の権力構造を攻撃することなのだと」と、ボールドウィンは語る。メドガーは、白人至上主義者に暗殺される。

 黒人同様、ネイティブ・アメリカンも差別され、虐殺された。アメリカの大地で堂々と生きていたのに、片隅に追いやられた。
 映画「駅馬車」の映像を流し、「虐殺を英雄の伝説に仕立てた」と語る。また「この国は視野を広げようとしない。アメリカでは率直さと誠実さが美徳とされている。その結果、幼さも美徳と見なされるようになった。だからジョン・ウェインのように映画の中で先住民を迫害した男も成長する必要がなかった」とも語られる。

 テレビのバラエティー番組、リアリティショーの映像には、「テレビを見るたびに、アメリカ人の有り様に背筋が凍る思いがする。こういう番組を見て、人々は安心する。そして、世界や自分に向き合う力を失っていく」と。

 映画の終盤近く、衝撃的な映像が流れる。リンチを受け木に吊るされている黒人たちと、その下で記念写真を撮る白人たち。ビリー・ホリデイが歌った「奇妙な果実」。

 これに対して、立野正裕は「差別の根源を照らし出す」(思想運動2018年6/15号)のなかで、次のように書いている。
「これらの写真と映像に写し取られた白人たちが人間的に陋劣であることは弁明の余地がない。かれらは黒人が黒人であるという事実を、あたかもそれが隔離を合理化する理由であるかのようにあげつらう。かれらが掲げる理由なるものになんの合理性も根拠もないことはもとより明白だが、その明白さを見る最小限の知性も想像力もかれらには欠けている。誰かを差別することが自分たちにとって必要なだけである。差別することでしか自分が自分であるという感覚がかれらには持てないのだ」

 凄惨な映像と笑いさえ浮かべた白人たちの顔。自分たちと同じ人間だと思っていないのだ。それはアメリカに限ったことではない。歴史上、至るところで起こってきた。日本も、植民地で、中国、満州ですさまじいことをやってきた。

 この映像の後、ボールドウィンの語りが入る。
「私を私刑で殺したり、スラムに追いやれば、あなた自身が怪物になる」、そして、オバマ元大統領も引用した、有名な言葉が続く。「向き合っても変わらないこともある。だが、向き合わずに変えることはできない」

 

≪雑感≫

 30代の若さで暗殺された公民権運動の指導者―メドガー・エヴァーズ、マルコムX、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの映像も多い。ボールドウィンはこの三人と近しい間柄で、暗殺の事実をリアルタイムで聞き、絶望におそわれている。
 マルコムXが想像以上に知的で静かな印象で、固定観念を覆された。三人は人々を率いる指導者としての風格、屹立した雰囲気がある。ボールドウィンにはそうした印象がない。三人とも内面的でもあるのだが、ボールドウィンは内面性に加えて、とても繊細な雰囲気を持っているのにひどく惹かれた。

 

                

 

 

 

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