映画「サーミの血」

映画

 

                     

 

 アマンダ・シェーネル監督 スウェーデン、ノルウェー、デンマーク 
 2016年

 

 北欧スウェーデン、幻想的で美しい自然の大地ラップランドに住むサーミ人。先住民族に対する差別。ヨーロッパの植民地主義に普遍的に存在する。アフリカ、アジア、アメリカで。日本も無縁ではない。差別する側として、される側として。

 

 親を、故郷を、捨てたサーミ人の少女(エレ・マリャ)は年老いて、妹の葬儀に息子、孫に連れられていやいや故郷に帰るが、妹を悼むことも、育った土地に立つことも拒む。一人、差別する側に立って、故郷を眺めながら回想する。

 妹と共にサーミ人の子どもたちと過ごした寄宿学校での隔離された生活。そこで受けた屈辱、そしてそこを逃げ出したこと、学費のために最終的に母親が祖父の銀のベルトをくれたこと。描かれていないが、少女は望み通り教師となって結婚もし、子どもも孫もできた。自分がサーミ人であることを隠し通して。
 息子はサーミ人の血を引くことを受け入れている。それは母親(少女)の無意識の願望だったのか。少女はサーミ人の血を嫌っていた。
 サーミ人はトナカイを飼って生計を立てているが、それは見世物にされてもいる。子どもが成長したとき、自分のトナカイを持つ。その時、そのトナカイの耳を切る。少女は隔離されていたとき、村の少年たちに耳を切られる。

 回想しながら、老女は、自由に生きることが差別する側に立つことだったのだと理解しただろうか。最後は、妹の遺骸に「許して」と言って、息子と孫がヘリコプターで山の上の居住地に行った後を、自分の足で歩いて登る。かつてのように。そしてそこに、昔のままにテントがあり、一つ一つのテントにバイクが置かれているのを目にする。

 

 子どもたちを親と切り離して教化、文明化するという考え方のおぞましさ。差別を担った人類学者の行為(頭蓋の大きさを計り、裸の写真を標本として残す)が赤裸々に描かれていて、心を抉られる。教師は「あなたたちの脳は文明に適応できない」と言い放つ。

 

 監督はサーミ人の血を引く女性。主演のレーネ=セシリア・スパルクは、今もノルウェーでトナカイを飼い暮らしているサーミ人で、東京国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した。

 

              

 

 

 

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