『愛されなくても別に』

 

                      

 

   武田綾乃著 講談社 2020年

 

 深夜のコンビニで、週6日バイトしている大学生の宮田。親は離婚して、母親と二人暮らし。月8万を家に入れ、家事もこなす。母親は働いているが、浪費癖があり、生活能力に欠けている。現実的には、宮田が母親を養っている。虐待や暴力を受けているわけではないが、宮田は母親に巧妙に支配されている。「私の世界は狭く、その中心にいるのは彼女だった」と思う。

 「支配とは、抵抗や反論、拒否を奪うことであり、抵抗を弾圧したり抑圧することだけが支配ではない」と、信田さよ子は『〈性〉なる家族』のなかで書いている。また、橋本治は『父権制の崩壊』のなかで、「する側に自覚のない行為は、される側だけに不条理を一方的に引き受けさせてしまう」と言っている。

 宮田は、母親に愛されているという実感はあるが、憎しみがまさるとも思う。宮田が母親に愛されていると信じているのは、私には幻想だとしか思えない。その母親の愛は、母親自身の自己愛にしかすぎないのではないか。子どもに向かっているのではなく、自分に向かっている愛なのだとしか思えない。

 そして、「子供の頃に手に入れそびれた自己肯定感を、どうやったら得ることができるのだろう。自信の欠如は巨大な壁となって、私を世界から過剰に排除しようとする」と、宮田は思う。

 殺人犯の父を持つ江永。親は離婚していて、母親と暮らしていたが、宮田と違って分かりやすいかたちの、間接的な性的虐待を受け続け、親を捨てる。性虐待について、信田さよ子は上述の本で、「その人の尊厳と生き方の根幹を破壊するもの」だと、断言している。

「親に搾取されちゃったアタシの人生」と言いきれる江永の潔さ。

「家族ねえ、アタシ的には世界で一番嫌いな言葉かも」「幻想な癖して、皆持ってて当たり前みたいな顔してるから」と、江永は言う。
「幻想だからこそ、これを守ろうとしている人々は強いのだ。私は、血が繋がっているだけの他人を親とは呼ばない、呼びたくない」と、宮田は思う。「関係を断ち切ることの何が悪い。私は、私の人生を生きたい」と、宮田も母親を捨てる。

 宮田は江永のところに転がりこんで、女二人の共同生活を始める。

 宮田も江永も欠落をかかえている。その穴を二人でいることで埋め合える。
 宮田は二十歳の誕生日に、「むずむずと胸を震わせるこの感情の正体は、喜びだ。二十歳になることが嬉しいんじゃない。今という瞬間を、江永と共有できることが嬉しかった」と、かみしめている。

 

 「親は選べない。でも捨てることはできる。その勇気がここにある」(藤田香織) こういう紹介の文章をみて、読まない選択は私にはない。
 若い書き手で、期待以上だった。共感できた。荒削りな印象も持ったが、それでも会話のセンス、ユーモアのセンスも好きだった。
 吉川英治文学新人賞、受賞。

 

              

 

 

 

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