映画「カポーティ」

映画

                         

ベネット・ミラー監督 アメリカ 2005年

 

 トルーマン・カポーティは、1924年ルイジアナ州ニューオーリンズで生まれ、1984年にアルコール中毒が原因で死亡した作家。『遠い声 遠い部屋』『ティファニーで朝食を』や、代表作『冷血』などがある。

 この映画は、1959年11月15日~16日、アメリカ中西部カンザス州ホルカム村で起こった一家4人惨殺事件の取材に出かけるところから始まり、1965年の死刑執行で終わっている。

 「静かで保守的な社会と二人の犯人、無防備な人々と犯罪的暴力。事件の夜、その二つが交錯した」 残忍で目を覆うような犯行の実行者は、ペリー・スミスとリチャード・ヒコック。
 ラス・ヴェガスからカンザス州に護送されてきた二人。カポーティの目は、ペリーに釘付けになる。まとっている雰囲気だろうか、心を揺さぶられる。言葉を交わすことが増えるにつれ、カポーティはペリーの中に自分を見、孤独なペリーはカポーティを唯一の友達だと思う。
 実際、カポーティとペリーの生い立ちはよく似ている。共に両親は離婚し、過酷な境遇で育つ。母親は子どもに愛情を注げず、冷酷に扱う。映画の中で、カポーティは「たとえて言えば、彼と僕は一緒に育ったが、ある日彼は家の裏口から出ていき、僕は表玄関から出た」と言っている。

 カポーティは、自分のことを「ホモセクシャルで、アル中で、ヤク中で、天才」と形容していたという。奇矯な言動と繊細さが同居しているような人だったのだろう。映画でもよく現れている。
 社交場で、場を過剰に盛り上げているカポーティ。暗い目で闇を見ているカポーティ。ペリーに会うことを拒絶して、ベッドから起き上がれないカポーティ。
 小説のタイトルを「冷血」と自ら決めたのに、ペリーの暗い猜疑の目に見すえられると、編集者がとりあえず付けただけだと嘘をつく冷酷さと弱さ。
 ペリーとディックの結末を見ないと小説が完成しないので、刑の執行を望む気持ちを持ってしまう自分と、そんな自分を許せない自分。二つのあいだで引き裂かれながら、危うい精神のバランスを保っているカポーティ。

 「自分はこの本を書く運命だった」「今回の調査で僕の人生が変わった。あらゆるものを見る目が変化した。僕が書く本を読む人も変わるだろう」と語っている。

 二人に懇願され、刑の執行に立ち合って以降、カポーティは長編を書いていない。

 カポーティ役のフィリップ・シーモア・ホフマンがすばらしい。アカデミー賞主演男優賞を受賞。素の部分でも、それこそまとっている雰囲気が似ている気がする。彼も薬物中毒で亡くなっている。

 カンザス州の取材には、友人で同じ南部の女性作家ハーパー・リー(『アラバマ物語』の作者)も同行する。誘い方に笑ってしまう。取材助手兼ボディーガードとして、と。親密な友人に、リーのことを「男らしい」とも言っている。ホモセクシャルであることをカムフラージュするためとも言われる。
 ハーパー・リーも母親から冷酷な仕打ちを受けていた。やはりまとっていた雰囲気が似ていたのだろうか。

               

 

 

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