『白ゆき姫殺人事件』

                      

 

 湊かなえ著 集英社文庫 2014年

 地方の小都市にある日の出酒造の子会社、日の出化粧品では「はごろも」から名前を変更した「白ゆき」石けんが爆発的に売れていたが、従業員(三木典子)が執拗に何カ所も刺され、灯油をかけられ焼殺される。

 三木のパートナー(会社では新入女子社員を二人ずつ各部署に配置し、それぞれに二期上の女性社員を教育担当として当て、互いをパートナーと呼んでいた)狩野里沙子の語りで物語は始まる。三木はすごい美人で、優しく、すばらしい、尊敬している。こんなことが起こるなんて、と話し続ける。
 電話の相手は高校時代の同級生で、週刊誌に記事も書いているフリーライターの記者。書いちゃいけないと言いながら、あからさまにネタとして情報を提供している。
 三木と同期の城野美姫が怪しそうと、続報を入れる。話を聞きながら、記者はネットのコミュニティサイトに投稿し続ける。そこでのやりとりが、資料1として巻末に掲載されている。

 次章は、三木の同僚たちへのインタビュー。駅に急ぐ姿が目撃されていて、城野は同僚たちの中で容疑者として確定していく。皆、最初は「あの人がそんなことをするはずはない」と言うが、不確かな要素を主観的な思いで色づけして、最後は彼女で間違いないと言いつのる。
 週刊誌の実物記事が巻末資料に掲載される。記者はインタビューの内容を大げさに、あるいは歪めて、あたかもインタビュアーの話であるように、まとめている。
 城野の大学時代の友人が週刊誌に抗議の手紙を送る。城野はそんな人ではない、無実だと。大学時代の城野の姿が描写される。それさえも週刊誌のネタにされる。

 故郷の小中高校の同級生へのインタビュー。近所の人、両親へのインタビュー。近所の人は事実に脚色を加え、両親は娘を信じることができない。
 引きこもりの谷村夕子は、「バカな連中のホラ話を真に受けてんじゃねえよ。みんな、他人を貶めておもしろがってるだけじゃねえか」(p.159)と、記者を罵倒する。
 週刊誌の記事は、インタビューの内容に悪意が加味されている。

 最終章に城野の生い立ちからの手記。「私は私の過去が解らなくなってきました。~自分の記憶で作られる過去と、他人の記憶で作られる過去。正しいのはどちらなのでしょう」(p.193)と書く。

 最後に容疑者が特定されたという新聞記事が巻末に掲載される。

 主観的な見方、思い込み、他人に対する悪意、嘲笑、ネットとからませて、現代の空気感が描かれている。「汚物のような言葉のかたまり」(p.217)がネットには氾濫しているという。ささやかな自分の場所で、地道に、慎ましく生きている人は、リアルという泡のようなかけ声に浸食されかけている。
 白ゆき姫とネットで崇められた被害者の辛辣な姿、自分と張り合う人間を巧妙に貶めるやり方が、さもありなんというように描かれていて、感心すると同時にカタルシスも味わう。

 小学生の頃の城野美姫の親友、谷村夕子。美姫は「赤毛のアン」に憧れ、自分をアンと言い、夕子をダイアナと呼ぶ。夕子は、「黒くつややかな長い髪、透きとおるような白い肌、紅いバラの花びらのような唇」(p.201)をもった女の子だった。三木典子など比べ物にならない、と後に語っている(それで、三木の悪意の標的になったのだが)。
 美姫と夕子の認識は微妙にズレているが、それでも二人にとって互いは大事な親友だった。

 「白ゆき姫殺人事件」を映画化した監督は解説で、「『赤毛のアン』という物語に、人の想像力や人間の関係性を考えるうえで、大事にしたいと思っている作者の眼差しを感じた」(p.310) それで、二人の実家の窓越しに灯りを明滅させながら、互いの思いを交換し合うところを映画の最終場面で入れさせてもらった、と書いている。

 最初に読んだ時、この部分に強い違和感を覚えた。湊かなえの作品世界と、「赤毛のアン」の世界は真逆で、アンは自分の深部をのぞきみることのない少女で、それ故にアンの世界には葛藤がない。湊かなえの作品は、人間の深部の欲望、打算、歪み、あがきがこれでもかと描かれている世界で、とても相容れないと思っていた。
 再度読んでみて、作者は美姫と夕子の関係をこうあってほしいという、かすかな希望として描いておきたかったのかもしれないとも思えてきた。

 

              

 

 

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