クリント・イーストウッド監督 アメリカ 2003年
ジミー(ショーン・ペン)、デイヴ(ティム・ロビンス)、ショーン(ケヴィン・ベーコン)は、幼なじみで遊び友達だった。3人で道路にいたずら書きをして遊んでいた時、子どもたちが警官だと思った男2人にデイヴは連れ去られ、4日間閉じ込められて性的暴行を受けた。その時、デイヴは11歳だった。
連れ去られる時、男に家はどこかと聞かれ、ジミーとショーンは咄嗟に嘘をつく。デイヴは正直に答え連れ去られた。3人はボストンの下町の貧しい地域に住んでいた。そこの子どもなら大丈夫だと男たちがさも思ったようにみえた。
遠ざかる後部座席の窓からデイヴの不安そうな顔が映る。そして物語の最後でもデイヴはジミーたちの車に乗せられ、不安な顔が窓からのぞく。
大人になった3人は、あれ以来親しい付き合いはない。ジミーはやくざな生活を送り、刑務所に入っていたこともあるが、今は雑貨店を経営している。3人の女の子の父親で、19歳の上の娘ケイティは、亡くなった最初の妻との子どもで、ジミーは溺愛している。
デイヴはトラウマを抱えて成長した。それでも結婚し、男の子もできた。デイヴは小さな嘘をつく習性がある。そして肝心なこと、本当のことが妻セレステにも言えない。
ショーンは州警察の刑事になっている。妻は臨月近くに出ていき、無言の電話を何度もかけてくる。ショーンが話しかけると切れてしまう。
ケイティはブレンダンと付き合っているが、ジミーは彼と付き合うことを許さない(それには深い過去のいきさつがあるのだが)。2人は駆け落ちし、そこで結婚しようと手はずを整えていた。その日の夜、ケイティは何者かに殺される。
同じ日の夜、デイヴは血だらけで家に帰ってきた。男を殴り殺したかもしれないとセレステに言う。セレステは不安に駆られ、次の日から新聞を隅から隅までみて、男のことが出ていないかと確認している。
ショーンは、ケイティ殺害事件の担当となる。
デイヴはケイティ殺害の容疑者となり、ショーンや相棒の刑事にも嘘を重ねる。ジミーは怒りに任せ、犯人は自分の手で始末しようと考えている。
子ども時代の出来事を知っているので、デイヴの不安そうな、自信のなさそうな雰囲気が胸に迫る。そして時に怒りを爆発させる態度も納得させられる。
セレステの過去も幸せではなかったのかもしれない。デイヴを信じることができない。なぜジミーに、と思ってしまう。愚かしくも見えてしまう。セレステもトラウマを抱えているのかもしれない。そして、これから先の長い、辛い人生を生きなければならない。
デイヴは自分が選んだ道を歩いてきたのではない。ただ不可抗力のようにして、ひとつの道を歩いてきたのだ。その道を常に否定しながら。そしてデイヴは破滅した。破滅させられた。妻と子ともう一度人生をやり直したかった故に、自分を殺して嘘をついた、その結果は……
デイヴにも、セレステにも、自分自身を見てしまう。
最後のどんでん返しと、見る者に委ねられたようなラスト。人によってそれぞれの物語がそこから始まる。私はトラウマが人の人生を支配する一つの例として見た。
クリント・イーストウッドの監督作としては初めて見て、仰天した。こんな作品を撮れるのだと。その後、「許されざる者」などもさかのぼって見て、どれもこれもすばらしかった。