青山真也監督 2020年
都営住宅に長く住んでいる私こそ、この映画を見なくては、と走って見に行った。
私は、テレビは見ない。新聞しか読まないので、都営霞ヶ丘アパートのことは知らなかった。目を凝らしていたら入ってきたのだろうが、オリンピック招致のバカ騒ぎが不快だったので、オリンピック関連のニュースはなるべく見ないようにしていた。それでも新国立競技場のハディド案が撤回されたとかは遠くの出来事として知っていたのだが。
映画は予備知識を仕入れて見に行ったが、見た直後に思ったことは、全体像がわからないなあということだった。自分の生活空間にカメラを入れるのを承知する人はオープンな性格の人たちだろうと思う。オープンな人たちは大体において、ポジティブな人が多いと思う。ここに登場する人たちよりもっと多くの鬱々としている人たちがいただろうと思った。ドキュメンタリーだから仕方がないが、全体像に近づくにはフィクションのほうがまさるのかもしれないなどと思ったりした。
もう一つ不思議だったのは経緯が見えてこなかったことだ。都営団地には自治会があるはずだが、記者会見の前に団地での集会はなかったのだろうか。なぜ映像にとられていないのか、不思議だった。
腑に落ちないことが多かったので、パンフレットというか、小冊子(私には高かったが)を購入した。読んで初めて納得がいった。霞ヶ丘アパートの事情が丁寧に説明してあった。都営住宅に長く住んでいるとわかるような、内部の事情が書かれていて、そういうことだったのだと、腹立たしいが納得した。
以上は都営住宅に住んでいる内部の目からの感想だが、一般的には、都営霞ヶ丘アパートはオリンピックのために取り壊された。住民の意向を無視して、特に高齢者の生活基盤を破壊した。それも聞く耳を持たない東京都の高圧的なやり方で、というふうに集約できるだろう。これは紛れもない事実である。
最後に、稲葉奈々子さんの文章の一部を引用したい。
東京オリンピックの記録として後世に残すべきは、新国立競技場の建設のための
霞ヶ丘アパート取り壊しが、多くの生を犠牲にしたという事実だ。本ドキュメン
タリーは、その貴重な証言者となるだろう。