クリント・イーストウッド監督 アメリカ 2004年
マギー(ヒラリー・スワンク)は31歳、プロボクサーとなる夢をかなえたいと願っている。
フランキー(クリント・イーストウッド)はさびれたジムを経営する年老いたトレ-ナーで、アイルランド系のカソリック信者。マギーはフランキーに自分のトレーナーになってくれと懇願するが、女は見ない、自分は年をとりすぎていると断りつづける。
相棒で、ジムの雑用係、元ボクサーのエディ(モーガン・フリーマン)。試合で右目を失明させたことを、フランキーは今でも悔いている。そのエディは、一人で練習を続けるマギーにアドバイスし、支える。フランキーも最後は折れて、マギーのトレーナーになる。
マギーは連戦連勝。強すぎて対戦相手がいなくなり、階級を上げ、イギリス・チャンピオンとのタイトルマッチにも勝利する。その試合で、フランキーは、背中にゲール語で「モ・クシュラ」と書かれた緑色のガウンを贈る。
マギーは稼いだお金で、トレーラーハウスに住む母と妹たちに家を買ってやる。母たちは感謝するどころか、お金のほうがよかったと悪態をつく。それでいて、当たり前のようにその家で暮らす。傷ついているマギーに、フランキーは寄り添う。
マギーは勝ち続け、ますます人気は高まる。フランキーは100万ドルのビッグ・マッチを受ける。相手はWBA女子ウェルター級チャンピオン、「青い熊」とあだ名されるビリー。反則など汚い試合で有名で、避けていたが、大きなチャンスと思い、受ける。
試合は、最初は苦戦するが、マギーの優位に進み、パンチを浴びせ、リングに沈める。ビリーは立ち上がり、ラウンドが終わってコーナーに帰りかけたマギーの後ろからパンチを浴びせる。マギーはコーナーの椅子に首を打ち、全身不随となる。
マギーは一生ベッドから起き上がれなくなる。マギーの家族は、ディズニーランドで遊んだ帰りに、弁護士を連れて現れ、マギーのお金を母親の管理下に置く書類にサインさせようとする。マギーは断り、家族との縁を絶つ。
フランキーはマギーのベッド脇で終日過ごす。マギーはさらに足の切断を余儀なくされる。
マギーはこんな状態で生き続けるのは辛いと言って、フランキーに自殺幇助を頼む。フランキーはできないと言う。マギーは二度も舌をかみ切って、自ら死のうとするが、看護師たちに助けられる。
エディは、マギーは生を全うした、自分の生を輝かせて生きた、悔いはないだろうと、フランキーに話す。
フランキーは遂に、マギーの人工呼吸器を外す。苦しまないように致死量以上のアドレナリンを注射し、そして、去っていく。人工呼吸器を外す前に、「モ・クシュラ」の意味は、「おまえは私の愛する者、おまえは私の血」だと伝える。
アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞を受賞しているが、公開後、障害者団体、キリスト教団体などによる厳しい抗議もあったらしい。
見終わった後、哀しみが心の奥底から湧いてくるような映画だった。
マギーも、フランキーも、映画自体も好きだが、マギーをかっこいい女としてこの映画を選んだわけではない。家族から打ち捨てられたようなマギーの存在には共感するが、プラス方向での一途さ、ひたむきさには私は共感しない(現実レベルでは好きなのだが)。
リングに登場したときの、「青い熊」ビリーの存在感に打ちのめされた。虚無の塊のような、地獄からやってきたような、人を寄せ付けない暗さのすさまじさに引き込まれそうだった。私の記憶のなかでは、かっこいい女になっていた。
今回再度見て、あまりの悪役ぶりにびびって、かっこいい女としてあげたくなくなった。かつては、その悪役ぶりにすら引かれていたような気もするが、10年以上経って、私も常識というものをわきまえる女になったのだろう。