フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督 ドイツ 2006年
1984年、東ベルリン。国家保安省(シュタージ)の一員として生きたヴィースラー大尉の物語。(内容の説明あり、要注意)
1985年、ソ連共産党書記長に、ミハイル・ゴルバチョフが就任し、ペレストロイカを主導。世界は緊張緩和に向かう。1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊。そんななかで東ドイツは強硬な社会主義路線を取り、国民を押さえ込もうとしていた。
シュタージとは、東ドイツの秘密警察・諜報機関を統轄する省庁。国民を監視下に置き、10万人の協力者と20万人の密告者がすべてを知ろうとする独裁政権を支えた。
ヴィースラーは、反体制の疑いのある劇作家ドライマンと、その同棲相手の舞台女優クリスタの監視を自ら希望する。クリスタの舞台を見て、一目で彼女の虜になっていた。過剰に職務に忠実で、国、組織に忠誠を捧げるヴィースラー。党を自分の利益のために利用する人間に嫌悪も抱いている。
手慣れた手際のよさで、ドライマンのアパートに盗聴器が仕掛けられる。隣人の女性が玄関の鍵穴から何事かと覗いている。「誰かに話したら、娘さんは退学になりますよ。お分かりですね」と脅し、口を封じるヴィースラー。
ドライマンの誕生パーティー。クリスタは「パーティーにはネクタイを締めて」と、ドライマンにネクタイをプレゼントする。ドライマンはネクタイを結べない。隣人の女性に結んでくれと頼むと、隣人は震えている。盗聴しているヴィースラーに緊張が走る。ドライマンは具合が悪いのかと案じるが、ネクタイを結んでくれ、礼を言って帰す。
このエピソードが好きだ。ドライマンは下層階級出身であることがわかる。ヴィースラーは、インテリ臭がするとドライマンを嫌っていたが、少し親近感を持ったかもしれない。
パーティーには、著名な演出家、過激な思想が当局に忌避され、権利剥奪の状態に置かれているイェルスカも来ている。一人でブレヒトを読んでいるが、みなが腫れ物に触るように応対している。彼はドライマンに、「善き人のためのソナタ」の楽譜を贈る。
盗聴を続けることで、ドライマンたちや周りの人々の生活や考え方も見えてくる。ヴィースラーはドライマンの部屋から、イェルスカが読んでいたブレヒトを持ち出し、自宅で読みふけっている。本の中のフレーズに心を捉えられているような、心が共鳴しているような、彼の表情がいい。
クリスタは自分に対する不安をかかえていて、薬をやっている。かつて国家保安省の長官として目障りな芸術家たちを一掃したハムプフ大臣に言いよられ、身体を求められる。
二人の乗った車がアパートの入口の近くに止まったとき、ヴィースラーは「見ものだ」と玄関の鍵が閉まるように細工をし、ドライマンを玄関口に向かわせる。ドライマンは二人を目撃し、二人の関係を察知するが、黙っている。黙って、クリスタを抱きしめる。
ヴィースラーの正義感は大臣を許せないだろう。ヴィースラーの国家に対する純朴さ、誠実さを踏みにじるものである。権威を嵩にきた不正が蔓延しているのを、みな知っている。
前触れもなく、イェルスカの自殺の報が伝わる。ドライマンは哀しみに打ちひしがれ、「善き人のためのソナタ」を弾く。ヴィースラーは盗聴しながら、その音楽に涙を流す。
そんななか、クリスタは大臣に誘われる。ドライマンは行くなと言い、「薬をやっているのも知っている。自分の才能を信じてない」と言う。
二人の言い争いの渦中で時間となって、ヴィースラーは引継の者と交替する。まっすぐ帰る気になれず、近くのパブでウォッカをあおる。そこにクリスタが現れ、コニャックを頼む。
「一人にして」と言うクリスタに、「あなたは国民に愛されている。私はあなたのファンだ」と、ヴィースラーは伝える。
「あなたは今以上の存在だった。輝いていた。今のあなたはあなたではない」
「私が芸術のために身を売っていると?」
「芸術家がそんな取引をしてはいけません。あなたは立派な芸術家だ。違いますか?」
「いい人ね」と言って、クリスタは席を立つ。
次の日、報告書には、「クリスタは出ていき、20分後に帰ってきて、ドライマンと激しく愛し合う」とある。
イェルスカの自殺で、ドライマンも行動を起こす決意をする。
ドライマンの友人、ジャーナリストのハウザーも監視下にある。誰にも聞かれずに、話ができるのは公園だけだと言い、ドライマンの家も盗聴されているか確認しようとなる。西側に密出国する予定がドライマンの家で大っぴらに語られ、実行に移される。国境で止められたら盗聴されていると。
ヴィースラーはこの話を聞き、国境警備所に電話をするが、受話器を置く。「今回だけは見逃してやる」 しばらくして、それがフェイクだったことを知る。
ドライマンたちは、このアパートは東ドイツで唯一自由に話せる場所だと喜ぶ。(本当に重要な情報を得るためには相手を信用させればいいのだと、教えてくれているようだと思った)
ドライマンは、イェルスカの自殺を西側世界に伝えたい、彼を語り継ぎたいと、東ドイツの言論統制と自殺についての記事を書く。タイプライターから足がつかないように普段使っているものではないタイプライターが用意され、巧妙に部屋の入口の敷居の下に隠される。
クリスタにこのことは話してないが、タイプライターの隠し場所を偶然見られてしまう。
その一部始終を盗聴していたヴィースラーは、「東ドイツ40周年記念の舞台用台本を書いている」と報告書に書き綴る。(『鼓笛のかなた』の野火が自分の主人である呪者に、小春丸のことを告げなかったことをふと思い出した)
ドライマンが書いた記事が、匿名で大きく西側の雑誌に出る。シュタージは誰が書いたのか調べるがわからない。
クリスタは違法薬物所持で、シュタージに連行される。「何でもするから帰して」と言うが、「あなたは実力者を敵に回してしまった」と言われる。
ドライマンの家が家宅捜索されるが、タイプライターは見つからない。ドライマンの仲間はクリスタを怪しむが、ドライマンは「違う。彼女はタイプライターの隠し場所を知っているが話していない」と言う。
ヴィースラーはクリスタの尋問を担当させられる。ヴィースラーはクリスタに、自分はファンだと告げる。そして、微妙に顔の表情で、大丈夫だから、自分が何とかするからと告げながら、タイプライターの隠し場所を言うようにせまる。
彼女はヴィースラーと酒場で会ったことを思い出したのだろうか、彼の表情を理解したのだろうか。彼女は隠し場所を告げ、解放される。
シュタージはドライマンの家に向かう。ヴィースラーは一足先に現場に向かう。
クリスタが帰ってきて、シャワーを浴びているのを、ドライマンは心配そうに見つめている。そこにシュタージが再度現れ、ドライマンが見つめるなか、敷居の板を開ける。
クリスタはバスローブのまま玄関から出てきて、道路に飛びだし、車にはねられる。
クリスタは、ヴィースラーに「私は弱い女なの。犯した過ちを償えない」と言う。
ヴィースラーは「償う必要はない。私がタイプを移動した」と告げる。
ヴィースラーはこの件の失敗で、報復される。地下の殺風景な部屋で、ひたすら手紙の開封作業に従事させられる。4年7ヶ月後、ベルリンの壁の崩壊を作業中に知る。
それから2年後、何事もなかったように政権の中枢にいるハムプフに、ドライマンは、自分はなぜ監視下に置かれなかったのか聞く。ハムプフは「完全監視だった、隅から隅まで筒抜けだった。家で確認してみろ」と言う。家のあらゆるところに盗聴用の電線が張り巡らされていた。
ドライマンはシュタージの資料から自分に関する厖大な資料を閲覧する。盗聴の報告書には、自殺に関する記事を西側に渡す相談が、「東ドイツ40周年記念作品の舞台用台本の作成」と綴られている。そこにあるコードネームは、すべてHGW XX7。ドライマンは書き手を特定する。
ヴィースラーは、チラシ配布のような仕事をしている。彼を見つけたドライマンは会わずに帰る。
そして2年後、『善き人のためのソナタ』という本を出版する。チラシ配布の仕事の途中で本の宣伝ポスターを見たヴィースラーは書店に入り、本を手にとる。献辞に「HGW XX7へ 心からの感謝を捧げる」とある。
盗聴という行為のなかでも、善良な、平凡な人間として、善きことを選びとる。当たり前の、普通の人間の行為。だが、それを選びとることが、どれほど難しいことか。ドライマンたちを通して学んだのでも、啓発されたのでもない、本来持っていた資質に忠実であっただけ。自己顕示欲のない、一粒の麦のような人物を描いて秀逸だと思う。
この事実を突き止めたドライマンの、その後の行動もいい。姿を現して、彼に感謝する代わりに、『善き人のためのソナタ』という本を書いて、献辞をヴィースラーに贈る。自分の存在を表に出さなかった人間に対する、最高の贈り物だと思う。自分の存在に感謝してくれる人間がいるという事実を抱きしめられる幸せ。
心に響く映画だった。幸せな気持ちになれる映画だった。