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映画「ダウト」

                     

 

ジョン・パトリック・シャンリー監督 アメリカ 2008年

 

 1960年代半ば、ニューヨークのカトリック学校。子どもたちは普通に教科を学ぶ。教えるのは神父とシスター(修道女)。戒律は厳しい。

  神父とシスターの間には目に見える格差がある。神父たちの贅沢な食事と大らかな規律。翻ってシスターたちのつましい食事としゃべることも制限される厳格な規律。

 学校には白人にまじって黒人の生徒が一人いる。母親は、「他の学校だとあの子は殺されるから、このキリスト教の学校に入れた」、と言う。1964年、ケネディ大統領が暗殺された時代のアメリカの現実。

 何かにつけ、いじめられる黒人の生徒を、フィリップ・シーモア・ホフマン演じる神父は励まし、やさしく支える。メリル・ストリープ演じるシスターである校長はよく思っていない。

「善良さは弱さだと、美徳の名の下に〝優しさ″を葬ろうとする残忍な人々がいる」と、黒人の子の担任である若いシスターに、神父は言う。

 ある時、黒人の子は神父に呼び出され、戻ってくると机に突っ伏していた。ワインの匂いがした。若いシスターはいぶかり、何かの時に校長に伝える。校長は直感的に、神父が性的な関係を強要しているのではないかと思う。若いシスターは「まさか、そんなこと」と驚く。

 神父はミサ用ワインを飲んだのだと言う。「これで解決ですね」と喜ぶ若いシスター。校長は自分の直感は絶対に正しいとゆずらない。

 校長と神父の対決。校長は嘘をついてまで、神父を貶める。学校の管理組織は、神父を栄転させようとするが、神父は辞任する。

 校庭のベンチで校長は、「疑いが──」、「言いようのない疑いの気持ちが──」、と若いシスターの前で泣き崩れる。若いシスターは跪いて、校長の手に自分の手を重ねる。

 

 最初観た時は、疑いを持たずにはおれない校長の心の歪みに、自分を重ねて暗く共鳴した。そして、神父の善良さを疑わなかったので、心の中に希望も残った。

 再度観た時、そんな単純な話ではないのだと理解した。神父が全く潔白とは言い切れない場面設定がいくつかあった。

「疑いをめぐる寓話」という副題。「他者の内面を知ることはできない。確固たる考えや理論を持っていても不明さは残る。この映画の目に見えない登場人物は〈疑い〉そのものだ」と監督は解説している。

 

 メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの演技がすばらしい。特にメリル・ストリープには打ちひしがれるほど圧倒された。

 

             

 

 

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