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映画「サイコ」

              

 

アルフレッド・ヒッチコック監督 アメリカ 1960年

 ヒッチコックの有名なサイコ・サスペンス映画。
 何度か見たが、ブログに書きたいと思って、再度見てみた。

 前回見た時は、全く思い出せなかった。モーテルと後ろの建物に見覚えがあって、やっと思い出した。三谷幸喜が、浴室で殺される場面が恐いと書いていたが、恐くなかった。記憶にも残ってなかった。「あれ、死んだのかな、まだ生きてるんだ」などと思ってしまった。

 今回見て、記憶していたものと随分違っていて驚いた。浴室で殺される場面と、最後の場面。浴室の場面。あんなふうに襲ってこられたら、やっぱり恐怖だと再確認した。
 最後の、母親に乗っとられる場面は、もっと強烈な印象があった。突然母親の声でしゃべりだすという禍々しい映像が記憶されていたのに、実際は母親の声が流れるだけで、表情は控えめだった。自分のなかにある恐れのようなものが、記憶を脚色したのだろうか。

 主人公の青年ノーマンの父親は5歳の時に亡くなって、母親の手で育てられる。母親は子どもに対して威圧的に振るまうタイプで、ノーマンは友達もなく、母親の支配の元で育つ。
 ノーマンは、母親にコントロールされながらも、子どもの、親に対する子ども故の普遍的な愛情を歪んだかたちで持ち続ける。母親に愛人ができた時、ノーマンの人格は破綻したのだろう。

 精神科医の言葉と、母親の言葉が、心に焼きついた。

   二人の人格が一人の人間のなかで対立する場合、強いほうが勝つ。ノーマンは
   母親として話している。もう、ノーマンはいない。

   息子の非を認めなきゃならない母親はつらいわ。
   でも殺人を犯したのは彼よ。
   これであの子もやっと片づくわね。
   悪い子で、母親の私に殺人罪を着せようとしたの。

 親からの愛情の欠如、コントロールが子どもに与える傷のもっとも極端な例として、確認しておきたかった。

 サスペンスとしても好きな映画だが、母と息子のシチュエーションをここまで極端に描ききったことにほれぼれしてしまう。エド・ゲインの犯罪にヒントを得た小説『サイコ』(ロバート・ブロック著)を原作としているという。現実は、もっともっとおぞましいものだった。

 私自身、身につまされる映画だった。

 

             

 

 

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