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映画「ハンナ・アーレント」

                         

 

 マルガレーテ・フォン・トロッタ監督 ドイツ、ルクセンブルク、フランス 
 2012年

 

 ハンナ・アーレント、ドイツ系ユダヤ人の政治哲学者。
 ナチス政権の誕生で、パリへ亡命。反ナチの活動をするが、ドイツのフランス占領でユダヤ人キャンプに送られる。かろうじて脱出し、アメリカへ逃れる。
 その後ニューヨークで生活し、大学で哲学を講義。

 アドルフ・アイヒマン、ナチス親衛隊で何百万のユダヤ人を強制収容所に移送した責任者。
 逃亡先のアルゼンチンでイスラエル諜報部(モサド)に拉致され、1962年絞首刑に処せられる。

 アーレントはイスラエルでのアイヒマン裁判を傍聴し、ニューヨーカー誌に記事を掲載する。

 アイヒマンは証言台で述べる。自発的に行ったことは何もない。上からの命令に従っただけだ。なので、自分には罪はない、と。
 アーレントは、証言台のアイヒマンを見つめながら、世界最大の悪は平凡な人間が行う悪であり、そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者だと考える。そして、この現象を「悪の凡庸さ」と名づける。

 アイヒマンの証言は裁判の映像記録が用いられているので、役者ではない、本物のアイヒマンを見ることができる。監督は、アイヒマンの凡庸さを、生々しく理解できるだろうと語っている。
 本当にどこにでもいそうな、官僚タイプの、情感を感じさせない人間に見える。

 記事ではアイヒマンのことだけでなく、強制収容所に送るのにユダヤ人指導者たちの協力があったと指摘したので、アーレントは全世界のユダヤ人の激しい非難の的になった。
 アイヒマンを擁護するのか、同胞を裏切るのかと。アーレントは親しいユダヤ人の友をほとんど失う。それでも自説を曲げなかった。

 映画の最後にアーレントは講義という形で学生に語りかける。

 アイヒマンの平凡さと残虐行為。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄した。それは思考する能力。私が望むのは考えることで人間が強くあること。危機的状況にあっても考え抜くことで破滅に至らぬようにと。

 そして、ナチがもたらしたものは、モラルの完全なる崩壊。迫害者のモラルだけではなく、被迫害者のモラルも崩壊させたと。

 

 ずっしりと重たい映画だった。
 私は、思考する能力を身につけているだろうか。

 一方で、「命令に従っただけだ。自分には罪はない」と言い切れる人間性に慄然とする。
 甘い見方をするなら、思考する能力が劣っていたとしても、普通の人間はその場で命令を拒否することができなかったとしても、良心の呵責に苛まれて、生きていくことはできないのではないかとも思う。
 それは裏を返せば、アイヒマンのようなタイプの人間は、良心の呵責になど苛まれない人間性の持ち主であるとも言うことができる。

 

              

 

 

 

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