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映画「あなたを抱きしめる日まで」

               

 

スティーブン・フリアーズ監督 イギリス 2013年

 主人公は十代で、未婚で妊娠したため、アイルランドの修道院で洗濯婦として働かせられる。1日1時間しか息子の世話はできない。修道院は息子が3歳のとき、お金と引き替えにアメリカ人の養子にする。
 50年後に、主人公は隠しつづけた真実を明かし、元有名ジャーナリストとアメリカへ息子を探す旅に出る。息子は政治の世界で要職に就いていたが、ゲイで、8年前にエイズで亡くなっていた。
 息子は母親を探してその修道院を訪れていたが、修道院は、「母親は一度もきたことがない」と、息子に伝える。一方、母親はそのとき、何度も修道院に足を運んでいた。そして、「消息はわからない」と告げられていた。息子は修道院の墓地に埋葬されていた。
 この事実を知ったジャーナリストは、「わたしは許さない」と声を荒げる。主人公は赦すことを選ぶ。そして、「赦しには大きな苦しみが伴う」と言う。

  ジュディ・ディンチ演じる主人公の、おばちゃん的明るさと、たくましさ。そして敬虔なカトリック信者としての信仰。神を信ずる心と、それ故の赦し。コメディータッチの部分もあり、最後は感動を誘う場面で終わった。観た直後は感動に浸った。赦すことについて考えさせられた。
 時間が経って、微妙に違和感を覚える。この話は実話で、主人公は最終的にこのジャーナリストに、この事実を出版することを頼んでいる。事実を皆に伝えること。それは赦すこととどう繋がっているのか。伝えることは告発の意味は含まないのか。赦すのなら自分の胸の内だけにとどめておくという選択には繋がらないのか。

 修道女たちの邪悪さは、我慢し自分を押し殺して生活しているところからも生まれてくるのではないかと思う。その過程がわたしにはよくわかる。わたし自身を鏡に映しているように心がキリキリと痛む。
 一方で、主人公は、「人間的な奥深さ」「凜々しい」と映画評で称えられる。彼女の苦悩にも心が痛む。しかし、彼女は事実を公表することで、自分を押し殺すところから生まれる邪悪さから解放されている。
 「赦す」という言葉と公表するという行為に、何かしら収まりの悪さを感じてしまうわたしは、心の中に「邪悪さ」を飼っているのだろうと思う。

 

              

 

 

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