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『これが人間か』

 

 プリーモ・レーヴィ著 竹山博英訳 朝日選書 2017年

 

 何十年も前から読みたいと思い続け、最近は死ぬまでには読まなければと思い続けた本をやっと読めた。イスラエルによるガザのジェノサイドの今こそ読む時機だったと思った。

 

 プリーモ・レーヴィ 1919年、イタリアのトリノで生まれる。
           化学者、作家。 
           1944年2月~1945年1月、 アウシュビッツ強制収容所を
           生き延びる。 
           1987年、自死。  

           

 解放から40年以上経っての自死に衝撃を受ける。
 生き延びても罪悪感を持ってしまう、こうした思いを抱えて長い年月を生きつづけるのは厳しいだろう。
 アウシュビッツを生き延びても、生還してから自ら死を選ぶ人々をみながら、レーヴィは、生きるために必要な、日常のささやかなことをやり続けるというかたちで、自分に生きることを課しているようにみえた。それでも40数年後に、自ら命を断った。

 『これが人間か』のなかで、一般のドイツ人も許せないという気持ちが控えめに表明される。知ろうとしなかったことに対して。見聞きしたこと、感じられたことに蓋をしたことに対して。
 「ゲッベルスと私」のブルンヒルデ・ポムゼルを思いだす。

 アウシュビッツは肉体とともに精神も破壊した。
 精神を破壊された人間を「溺れるもの」と表現している。生きる努力を放棄させられたもの、死に向かって生きているもの。そういう人々から死んでいったと。

 

 レーヴィが今生きていたなら、パレスチナを、ガザを、どう思うだろうか。

 

 続けざまに、レーヴィの『休戦』、『溺れるものと救われるもの』を読んだ。
 映画「関心領域」(ジョナサン・グレイザー監督 2023年)を観た。
 『普通の人びと』(クリストファー・R・ブラウニング ちくま学芸文庫 2019年)を読んでいる。
 昔、昔に読んだ、『夜と霧』を読み返そうと思っている。

 

 

 

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