『時間』堀田善衛著 岩波現代文庫 2015年(初出1955年)
『審判』武田泰淳著 (初出1947年)
「1★9★3★7」に刺激を受けて、堀田善衛の『時間』と、武田泰淳の『審判』を読んだ。
堀田善衛(1918~1998)、小説家、評論家。『広場の孤独』『方丈記私記』『ゴヤ』『カタルーニア讃歌』など多くの著作がある。コスモポリタンな印象がある。『時間』は読んだことがなかった。
「殺、掠、姦―1937年、南京を占領した日本軍は暴虐のかぎりを尽した」 その内実を、臨月の妻、5歳の息子、召使の老婆、蘇州からのがれてきた従妹の楊嬢と暮らす中国人の元貿易商が日記のかたちで綴る。
人々はどのように駆り立てられ、どこに、どのように集められ、そしてどのように犯され、どのように殺され、その屍骸は誰が、どのように処理したのか。それが怒りの告発というかたちではなく、自分が体験した事実の連なりとして描写される。多くの中国人と同様に、5歳の息子と臨月の妻は無惨なかたちで殺され、楊嬢もまた多くの中国人女性と同様、日本兵に集団で強姦される。
「南京暴行事件をも、一般の日本人は知らないのかもしれない。闘わぬ限り、われわれは「真実」をすらも守れず、それを歴史家に告げることも出来なくなるのだ」という信念に基づいて日記は書かれている。
そして、「わたしが、眼を蔽いたくなるほどの悲惨事や、どぎつい事柄ばかりをこの日記にしるしているのは、人間が極悪な経験にどのくらい堪えうるか、人間はどんなものか、ということを、痛苦の去らぬうちに確認してみたいがためにほかならない。時間がたったならば、わたしとてけろりと忘れてしまわぬとは限らないのだ」という痛烈な自己認識に貫かれている。
日本では普通に暮らしていた人々が、兵士となり、中国に赴いてやったこと。その落差と、そしてまた多くの人が日本に帰り、普通に暮らしたこと。罪の自覚を持ち得るかどうかの分かれ目はどこにあるのだろうか。
日記の書き手は、異常さこそが日常性となったなかで、戦争だからという宿命論に流されないで、「精神を立てて生きる」ために異常な努力をしていると綴る。農夫が一鍬、一鍬、畑に鍬を打ち込んでいくような労働、そして日常の仕事を丹念にこなしていく営為を担うことが「精神を立てて生きる」ことだと綴る。
楊は梅毒を移され、妊娠し、流産し、アヘン中毒になる。何度も自殺を試み、与えられた時と場に於て何を為すべきかを考えている青年の適切な行動に助けられる。楊は入院するとすれば、強姦された現場の病院を選ぶと言う。「こんな身体にされた、その現場でよみがえりたいの。外のところで、心や身体の傷を忘れたようなふりをして、それで快癒したりしたくないの」「それはたいへんなことだよ。毎日毎日、その、ひどい目を追体験することになるよ。幻視や幻聴がひどくなるばかりじゃないかな。たいへんな意志のいる仕事だよ」「現場にいなければ、病気がよくなることが、わたしの仕事にはならないように思うの。仕事がなかったら、上海なんかへ行ったら、むしろ、かえって幻視や幻聴のなかで生きるようになるように思うの」苦しみのその只中で癒えよ。彼女にとって、その現場でということは、傷に膏薬をはるというようなことではなくて、自分自身の、完全な内発性によって、秋冬が春を生むようにしてなおろうということなのだ。それを仕事にしようというのだ。
内発性と日常性を日々の仕事を通して結びつける、この場面が私は好きだが、危ういかもしれない。本当に過酷な体験をした人が読めば、超人的な行動を促されているように読めるかもしれない。現実離れしていると思われるかもしれない。
最後は楊と青年の希望のある未来で終わる。書き手は、二人に希望を託している。新しい世代であり、新しい精神だと。
武田泰淳(1912~1976)は好きで、若い頃よく読んだが、それから何年も経って、著作集で読み直したことがある。その時、「審判」も読んだような気がするが覚えていなかった。「汝の母を!」があまりに強烈で、他のは吹っ飛んでしまったのかもしれない。
今回、再度読み直した。
中国戦線で、日本人兵士の誰もがやったように、自分も民間人の老人を殺した。その罪を個として背負うために最愛のフィアンセとの婚約を破棄し、日本に帰らずに中国に残ることにした。皆が戦争のせいにして自分の行為を忘れてしまう。責任をとることをしない。それに対する強烈なアンチ。個としてあるとはどういうことかと。
フィアンセに告白する場面、
「どうしてあなたがそんなことなさったのかしら。信じられないわ」
「僕だって今考えると、なぜ自分があんなことしなきゃならなかったかわからないよ。しかし事実はあくまで事実なんだからな。それにね、これは想像だよ、想像だけれどね、一度あったことは二度ないと言えないんだからね。今でこそ後悔している。二度とはしまいと思っている。しかし~また同じような状態に置かれたとき、僕がそれをやらないとは保証できないんだからね」
僕は許しを得て、元の鞘に収まることを半分期待していたが、「甘い言葉でかたづかないもの、やさしい情愛で包みきれぬもの、冷えた石か焼けた鉄のようなものを、私は自分の手で二人の間に置いたも同然でした」「私は今や自分が裁かれたのだと悟りました。自分の手で裁いたのだと思いました」そして、「今までにない明確な罪の自覚が生まれているのに気づきました。罪の自覚、たえずこびりつく罪の自覚だけが私の救いなのだとさえ思いはじめました」
自分自身に向き合いつづけること、自己愛に流されないこと、時代のせい、戦争のせいという宿命論に逃げこまないこと、これらが罪の自覚にたどりつく細々とした道だろうか。
今回読んだ武田泰淳の短編集のなかでいちばん気に入ったのは、「女賊の哲学」だった。
「安家(あんけ)の人々は誰も第二夫人の憂うつの原因を知らなかった」という冒頭の一文から始まる書評を読んだ気がする。好意的な書評の書き手の、主人公に対する思い入れの強さが伝わって、読みたいなと思った気がする。私もこの主人公にほれぼれする。「ドラゴンタトゥーの女」のリスベットと同じ系譜の女だと思う。リスベットよりも、もっともっと「情」の部分をとび超えてしまっているが。
武田泰淳はこういうのも書けるのだと驚いた。