村山由佳著 集英社文庫 2014年
もう10年近く前になるが、久田恵が、朝日新聞ニュースの本棚(2014年5月18日)で「母娘問題」を取り上げていた。久田は、1990年、「フィリピーナを愛した男たち」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。息子の稲泉連も、2005年、「ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死」で同賞を受賞している。
二人の書くものは、私にとっては大らかな印象があって好きなのだが、「母娘問題」の記事には引いてしまった。
1979年、『母原病』(久徳重盛著)がベストセラーになった年、久田は母親になった。時代は、子どもの情緒的な発達にも母親の責任が問われる方向へと向かった。久田と同世代の女性たちの多くは、核家族の専業主婦となり、働く母親は、子どもになにかある度に、「自分のせいではないか」との不安に苛まれた。
89年以降、「アダルト・チルドレン」関連本の出版が10年も続き、2000年に入ると「毒親」がブームになった。心理学や精神医学は、子育ての途上で起こる障害を一貫して母親のせいにし、さまざまな社会的な要因や機能不全には目もくれない。
2010年前後から「母娘問題」がクローズアップされているとして、『母が重くてたまらない』(信田さよ子著)、『母がしんどい』(田房永子著)、『解縛』(小島慶子著)を紹介している。
「若手の女性作家たちも「母娘の確執」を文学のテーマとして取り上げている」とあるので、村山由佳の『放蕩記』も入るだろう。
久田は、「問題視されているのは、同世代の母親たちで、三十数年前、「良い母親」を目指した専業主婦の母親たちが、娘を通して自己実現を図り、いきすぎて娘を支配するモンスターとなったと読み解かれている」そして、「この種の本を読むと、その向こう側に子育てに邁進した全人生を否定され、蒼白な顔で身じろぎもせずに立ち尽くす母親の姿が浮かんでくる。私は、傷つき果てたその孤独な母親を抱きしめて、あなただけのせいじゃないよ、そうささやいて共に泣きたくなる」と書く。
これを読んだとき、彼女はここでいう「母娘問題」を理解できていないなと思った。
母親像を社会のなかに置くことは別な文脈でなら妥当だと思うが、依存・共依存の個々の関係を一般化することはできないと思う。それぞれ大枠ではとてもよく似ているのだが、だから、「私もそうだ」、「私もそうだ」、とその事例に共感する人が多いのだが、それを一般化して捉えると、個々の当事者には届かなくなる。依存・共依存の関係は、社会的な抑圧関係がベースにあるとしても、私は精神医療の分野だと思う。
久田は、「生まれ落ちたその時から、赤ん坊は、多様で複雑な固有の個性を持った存在としてそこにいる。幼い孫娘たちから私は今、そのことを学んでいる」と結んでいるが、随分お気楽だなと思う。赤ん坊から成長していく過程で、「固有の個性を持った存在」としてはぐくまれなかったというのが、ここでいう母娘問題の胆である。
『放蕩記』。タイトルからすると、前作の『ダブル・ファンタジー』の続きのような、奔放な性遍歴を綴った小説と思われるかもしれないが、これは母と娘の物語である。村山由佳は、自分自身の物語を小説に昇華させえた。
母親について語ることがずっと恐怖だったという。母親が認知症になって、村山の小説を読めなくなって初めて書けるようになったという。
「『放蕩記』を、受け容れがたい、これは母親への復讐の書でしかないと断じる人たちもいる」そうだ。そんな時、「最も理解の妨げになるのは、〈母性という神話〉よりも、〈善なる者の傲慢さ〉、つまり多数の側にいることで自らの正義を疑わない人たちの、想像力の欠如ではなかろうか」と思うと、『「母」がいちばん危ない』(斎藤学、村山由佳)で書いている。
私は、この小説のなかで、母親と娘の関係はもちろんだが、娘と父親の関係にも、父親と母親との関係にも心がざらついた。
村山由佳が、自分をアダルト・チャイルドだと認識したのは最近だという。それまではアダルト・チャイルドを「大人になっても、まだ子供の要求を振り回してわがままで、ある部分が大人になりきれていない、遅滞してしまった、欠けている人」だと思っていたが、今は「機能がちゃんと果たされていない家族の中で育った人が、その時に親から与えられなかった愛情や、傷つけられてしまったものを回復することができなくて、大人になった今でも、自分の中に泣き叫ぶ子供が住んでいる。その部分がまだ癒されていない人」だと理解しているという。
「アダルト・チャイルド」という言葉自体は、1970年代、アメリカでアルコール依存症の親に育てられた子どもに典型的に見られるパーソナリティとして注目される。
村山は、母親のことをエキセントリックで、自己愛の強い人だという。あれこれこの手の本を読み、自らのことも省みて、アダルト・チャイルドを生み出す母親に共通しているのは、極端な自己愛の強さのようにも思われてくる。そしてそれは、子どもにも受け継がれることが多いので、自らをアダルト・チャイルドだと自覚した人間はそのことにおののいている。
それを乗り超える一つの手段は、表現することではないかと思う。私が邪悪さの塊のようなところがあるのは、表現する術をもっていなかったからだろうと思う。ブログを通して少しずつ表現していくことで、邪悪さが少しずつ溶けていかないだろうか。