角田光代著 中公文庫 2011年
「親子の信頼関係は、社会的に形成されるものです。血のつながりがあれば、自然にできるわけではありません。『八日目の蟬』を読むと、親子の信頼関係について深く考えさせられます」と、佐藤優は書いている。「近くにいる人たちとのつながりを再構築しようという気持ち、この気持ちが、実は親子の信頼関係の基本になる」とも書いている。
野々宮希和子は、秋山丈博の子どもを妊娠し産みたかったが、丈博には妻がいて、離婚してきちんとしてからと説得され堕胎する。それが元で子どもを産めない身体になる。丈博の妻、恵津子はその後出産する。
希和子は赤ん坊を一目見たいと思い、秋山のアパートに侵入する。赤ん坊が希和子に笑いかけたのを見て、思わず抱き上げ、そのまま外に出てしまう。赤ん坊は恵理菜と名付けられていたが、希和子は自分の子どもに付けようと思っていた薫と呼ぶ。ここから4年間の逃亡生活が始まる。
東京から名古屋へ、そして、奈良生駒のエンジェルホームでは2年半ほど過ごす。そこは女たちだけの共同生活の場で、自然食品の生産販売などをやっており、いかがわしい新興宗教の趣もあった。個人財産の詐取疑惑や未成年の監禁疑惑などでマスコミが騒ぎ出し、警察の手入れが入りそうになり、希和子は薫をつれて逃げ出す。たまたまエンジェルホームに一緒に入り、親しかった沢田久美から実家の住所を教えられ、岡山から小豆島にわたる。
久美の母親、ソーメン店を営む昌江は、最初店員として雇うことを拒むが、ラブホテルで住み込みで働いているのを知り、店員として雇い、部屋も世話してくれ、薫ともども面倒をみてくれる。夢のように幸せな1年が過ぎた後、アマチュア写真に映り込んだ祭りの日の希和子と薫の写真が全国紙に掲載され、薫と二人の生活は終わる。
薫はフェリー乗り場から見知らぬ大人たちに東京につれてこられ、本当の両親と妹に会った。吠えるように泣いている母親に抱きしめられると、わけのわからなさと緊張でおしっこをもらした。
そしてそれ以後、秋山恵理菜という本名で暮らすことになる。
恵理菜は大学に入り、ひとり暮らしを始め、居酒屋でバイトしているところから、新たな話が展開する。
彼女は妻子ある男性と付き合っている。そこにエンジェルホームでお姉さんのように薫の面倒をみてくれた、当時10歳くらいだった安藤千草が現れる。エンジェルホームのことを調べ、本を出版していた。恵理菜の事件のことも書きたいと。
その後、恵理菜の妊娠が分かる。最初は中絶しようと思っていたが、年老いた医師に、「子どもが生まれるときは、緑がさぞやきれいだろう」と言われる。その時唐突に、海と、空と、雲と、光と、木と、花と、今まで見たことのないような景色が見え、それをおなかの子に見せる義務があると感じて、産む決心をする。恵理菜と千草は取材旅行と称して、エンジェルホームや小豆島に行くことにする。
旅の途中、母親になれるのかという不安から恵理菜は千草に怒りをぶつける。それは、自分の過去と向き合うのが、未来と向き合うのが、こわいだけなのだ。
恵理菜は、希和子を憎むことで新しい生活に適応しようとした。
「父らしからぬ父、母らしいことのできない母、いつも気をつかっていた妹、そして、すべてを憎むことで自分を守ってきた私」「楽でいるために私はあの女を憎んだ。~憎むことで私は救われ、安らかになれた。~憎むことは私を楽にはしたが、狭く窮屈な場所に閉じこめた。憎めば憎むほど、その場所はどんどん私を圧迫した」
小豆島にわたるフェリーのなかで、恵理菜は、希和子が刑事たちに向かって叫んだ言葉を思い出す。「その子は、朝ごはんを、まだ、食べていないの」
秋山恵津子も、野々宮希和子も、まったく等しく母親だったことを、恵理菜は理解する。そして、生まれてくる子どもに対して、「だいじょうぶ」と、そっと思う。
希和子は、岡山港のフェリー乗り場の待合室で、空いた時間を過ごすのが日課だった。恵理菜と千草と希和子は同じ場所にいた。希和子は薫のことを思いながら、「愚かな私が与えてしまった苦しみからどうか抜け出していますように。どうかあなたの日々がいつも光に満ちあふれていますように」と、つぶやいていた。