『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』
ジョイス・キャロル・オーツ著 栩木玲子訳 河出文庫 2018年
(七つの悪夢の1編)
高級住宅地に住む、46歳のヘレーネは、突然夫を亡くす。子どももなく、何の準備もなしに、孤独の底に突きおとされ、人生の破局を味わっていた。
空っぽになってしまったような空虚さを抱え、何も手につかない。手につかないが、やるべきことはたくさんある。これまで見たこともなかった、家を維持していくための多くの書類にサインを求められる。次第に意思を持って自分が動いていると感じられなくなっていく。
夫を知っている親戚や友人たちとは会いたくない。同情のまなざしで見られるのも屈辱に感じる。
夫の死から7週間後、空っぽの自分を持て余し、つき動かされるように、夫の未使用の衣類を慈善活動のための中古用品店に持っていく。ヘルピング・ハンズという退役傷病軍人のための施設で、手と手を固く握り合っているシンボルマークのイラストに心を奪われ、数ある同様の施設から選びとったところである。
そこは、これ以上ないほど陰気な、みすぼらしい場所にあり、建物は「捨てられたもののための墓場」のようだった。そこには、貧しい身なりのニコラスという30代半ばくらいの無愛想な従業員がいた。顔に傷を負い、左足を引きずっていた。
ヘレーネが初めて店に行ったとき、ニコラスはエウリピデスの『悲劇全集』を読んでいた。彼女は彼の閃光のようなほほえみに打ちのめされた。彼女は、ニコラスに傷つきながらも、神が自分に遣わしてくれた人だと思った。ヘレーネは、ニコラスを手助け(ヘルピング・ハンズ)したいと願い、夢を描き、夢に溺れていく。
ニコラスは母を亡くし、父に見捨てられ、大学を中退。人生の目的を求めて、26歳で陸軍に入隊し、中東に送られ、「砂漠の嵐作戦」に巻き込まれる。イラクで言語に絶する経験をし、身体だけでなく、精神にもトラウマを負う。
ニコラスは若くして人生をもぎ取られたようだった。自分を抜け殻だと言い、世の中に対して怒りを募らせている。
ヘレーネも自分の人生は終わったと思っていた。そんなとき彼がふいに彼女の前に現れた。
ヘレーネは、ニコラスに幻想を抱くが、それは常に社会階層の上位からの差別的な思いもまとっていて、自分では気がついていない。ニコラスはそれに対して逆上する。
彼はヘレーネが考える不幸な善き人間ではなく、したたかで、悪意に溢れる、怒りに支配された人間でもある。
ヘレーネは自分を守ってくれる人を求めた。生活が壊れて、夢想が現実のなかに入り込む。自分で自分を止められない。守る者もいない剥き出しの現実のなかに、ヘレーネは落ちていく。