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『人間の運命』

                       

ミハイル・ショーロホフ著 米川正夫・漆原隆子訳 角川文庫 1960年

 

 著者のミハイル・ショーロホフ(1905~1984)は、南ロシア・ドン地方の出身。ロシア革命後赤衛軍の食糧挑発部隊員として働く。1922年、モスクワに出て肉体労働に従事しながら文学を学ぶ。大長編『静かなドン』を1928年から1940年に発表。1965年、ノーベル文学賞受賞。生涯ドン地方で執筆を続けた。

『人間の運命』は、五つの短編よりなる。最初の「人間の運命」は1956年発表、他の四つは初期の作品である。「人間の運命」は第二次世界大戦中、従軍作家として前線にあった作者の体験に基づいて創作した作品とある。

 心が震えた。「善き人のためのソナタ」では、ヴィースラーに対する共感に近いもので心が震えたが、『人間の運命』はもっとスケールの大きなもの、人間の本質、善きものも悪しきものもすべてを包み込んで、そしてロシアのドン地方の大地に根ざして、大地に結びつけられて、浮ついたところのない、愚かしさも、無慈悲さも、善良さも、邪悪さも、心根のまっすぐさも、たくましさも、そして弱さも、すべてを含んだような人間たちが、運命に、歴史に翻弄されながら生きている、その姿に心が震えた。

 主人公は5、6歳くらいの男の子をつれて旅をしている。問わず語りに、私に身の上を語る。

 1900年の市民戦の時は赤軍にいた。22年の飢饉の時は、富農をしぼり上げて生き残ったが、両親と姉は飢え死にした。それから間もなく、できすぎたような女房をもらい、子どもが3人産まれ、昼も夜も働いて、小さな家をたてた。貧しいけれど満ち足りていた。ところが戦争が起こり、二度負傷し、トラックで前線に砲弾を運んでいたとき、爆撃され、ドイツ軍の捕虜になった。

 壊れた教会に追い込まれた時、まっ暗な中で、軍医は俺のはずれた腕を治してくれた。そして、「軍医は闇の中を先へ進んで行って、『負傷者はいるか?』と小声できいている。これが本当の医者というものだ! 捕虜になっていながら、暗闇の中で自分の偉大な仕事をしていた」

 小隊長をドイツ軍に売ろうとしていた、大きな面をした若僧の喉を絞めて殺したこともあった。敵より悪い裏切り者だったから。

 ある時は、俺のグチを仲間の卑劣な奴が収容所の司令官に告げ口し、ドイツ軍司令官に殺されかかった。司令官は俺にウォッカをすすめ、俺はロシア人の自尊心と誇りをもってウォッカを3杯呑み干した。司令官は勇敢な兵隊を尊敬する、助けてやると言って、パン1本とバターをひときれよこした。
 俺はバラックに転がりこむと気を失って倒れた。仲間がまだ暗いうちに起して、食糧をどんな具合に分けるかときく。「みんな平等に」と答える。パンは一人にマッチ箱位のが一切れずつ渡った。バターの方は、ほんの口を濡らしただけだった。しかしちゃんと公平に分けた。

 捕虜としての2年間、ドイツの国を半分は回った。珪酸塩工場で働いた。石炭掘りに、土工仕事、石切場でも働いた。戦争前に86キロ合った体重は50キロになっていた。

 ドイツ軍の運転手が底をついていたのか、運転手として働かされた。少佐級のドイツ人技師を乗せて、前線に近い地域へも運んだ。毎晩毎晩考え、周到に準備をして、そのドイツ人技師を手土産に脱走した。仲間は将校も兵も俺を称え、喜んでくれた。

 病院で身体を治していた時、妻子からの返事を待ちわびていると、地元の隣人から手紙がきた。ドイツ軍の爆撃で妻も子どもたちも亡くなったと。一番上の息子だけは街に出かけていて助かったが、志願兵として前線に行ってしまったと。
 絶望に打ちひしがれていると、光が差し込んだ。息子から手紙がきて、今は大尉となって砲兵中隊を指揮している、六つの勲章を持っていると。俺は喜びに照らされ、毎晩老後の夢想─若夫婦の傍らで暮らすという─に耽った。

 ところが戦争が終わった勝利の日に、息子はドイツの狙撃兵に殺された……

 すべての希望を失って、子どものいない友人夫婦のところに転がりこみ、トラックで荷を運ぶ仕事をしながら何とか暮らしていた。ある時、居酒屋の傍らで、ボロをまとい、二目と見られないほど泥まみれの男の子に会った。次の日も、その次の日も。
 前線で死んだ父と、爆弾でやられた母。身寄りのないおさな児に、「俺は──お前の父さんだよ」と言った。おさな児は、もう離さないと叫び、頬っぺた、口、額を接吻し、ひしとしがみついて、全身ぶるぶる震えていた。

「身内を失った二人の人間、未曾有の力を持った戦争の烈風のため見知らぬ土地に吹きとばされた二つの砂粒……この先、何が彼らを待っているのか? 不屈の意志を持ったこのロシア人が、万事を見事に持ち堪え、あの子が父の肩で成長し、大人になった時には、祖国が求めるならば、あらゆる事に耐え、行く手のあらゆるものを克服し得る人間になる、と私は思いたかった。
 重苦しく悲しい気持で、私は彼らを見送っていた…… ~ 戦争の間に白髪になった、初老の男たちは、夢の中でだけ泣くのではない。彼らはうつつにも泣くのだ」

 

               

 

 

 

 

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