上橋菜穂子著 新潮文庫 2006年
希望の物語。
後半は涙で目を腫らしながら読んだ。
一途な心。まっすぐな心。澄んだ心。
「呼び覚まされた思いが、言葉よりも先に涙となってあふれる本というのはあるものだ」(伊藤遊)と、本の紹介にあった。そして、「憎しみがどのようにして生まれ、どんなふうに膨れ上がってゆくかを、この作品が見事に描き出している」ともあって、読みたくてたまらなかった。
個人の内面の問題を扱っているのかと思って読みはじめたが、少し違っていた。
人間の強欲が領地をめぐる争い、憎しみ合いの発端となっていた。個人の憎しみの連鎖ではあるのだが、社会とか歴史といった大きな枠組みのなかの憎しみの連鎖でもある。
「怨みのもとが、まだ見えているうちに。……このまま、殺し、殺されていたら、いつか、なにをしても消せない憎しみが凝り固まっていくだけ」だから、奪った領土を返してあげてほしいと願う、まっすぐな、澄んだ心の持ち主。
それをきれいごとだと退ける人々。
スケールの大きな物語である。と同時に、呪者によって呪いを運ぶ使い魔とされた霊狐の野火と、人間の少女・小夜の心と心が求め合う、ひたむきで、一途な物語でもある。
小夜は、一緒に暮らしていた祖母が亡くなり、「哀しみや心の傷を封印すれば、心が空ろになる」のではないかと思い、自分のルーツを知る旅をはじめる。野火に思いを馳せながら、憎しみあいの道具に使われることを拒絶して闘い、運命を自らの手で勝ちとる。そして最後に、至福のような幸せ、喜びがおとずれる。
読んでいる間、「怨んでも、時はもどせません。この先を、変えることしか、わたしたちにはできない……」という声がずっと響きつづけていた。
〈余談〉
文庫の最後に、宮部みゆきが「『児童文学』という魔法」という文章を寄せている。
本書の魔法は超一級品で、冒頭の一行目から呪文を唱え始めた私が完全に酔っぱらったのは、
「若者は、はっとして手をひっこめ、しばらくたたずんでいたが、やがて、衣で手をふいて、もう一度そっと手をさしのべてきた」というところで、「衣で手をふいたというところが、たまりません」と書いている。
これに習うなら、霊狐の玉緒が呪者と戦ったあと、「口もとについた血をなめている玉緒は、おそろしい顔をしていた」というところが、私にはたまりません。