Ⅳ 隅っこ(コーナー)
フィニー郡裁判所の4階の郡拘置所は、保安官住宅と、鋼鉄の扉と短い廊下でへだてられただけだった。保安官住宅には、保安官代理とその妻マイヤー夫妻が住んでいた。
マイヤー夫人は落ちついた、やさしい性質の持ち主で、率直な、実践的な女だった。それでも、ある種神秘的な平静さといった輝きに包まれているように見えた。
拘置所には六つの独房があり、6番目は女囚用になっていて、保安官住宅の中に──マイヤー夫妻の台所と隣り合せになっていた。ペリー・スミスとリチャード・ヒコックを離しておくために、ペリーは女囚用の独房に入れられた。
二人が連れてこられた午後、ペリーは食事に手をつけなかった。マイヤー夫人はペリーに、特別好きな料理があるかどうか、もしあれば明日それを作ってあげましょう、という。ペリーはからかわれているんじゃないかと疑っているようだったが、しばらく話すうちに、「スパニッシュ・ライス」だという。
ペリーはたいへん恥ずかしがり屋のように見えた。そして、それまで会ったうちでいちばん悪い人間というわけでもないと夫人は考えた。
こうしたことを夫に話すと、夫は最初に事件現場にかけつけた一人だったので、「死体を発見したとき、このあたしもその場にいればよかったのに、といいますのよ。そうすれば、スミスさんがどんなに穏やかな人間だかあたし自身で判断がついたろう、と。スミスとヒコックは、相手の心臓をえぐり取っておきながら、まばたきひとつしないだろう、と夫はいいました」
雪の積ったニレの樹のてっぺんの枝は、女囚の独房すれすれに伸びていた。その木にはリスが住んでいて、ペリーは何週間もかけて、リスを手なずけ、独房に住まわせた。
ディックには両親が面会に来たが、ペリーには父も姉も来なかった。ペリーは独りだった。
2月の半ば、陸軍工兵隊の同期だった、ドン・カリヴァンから友人として手紙がきた。宗教的な思いからペリーに手を差しのべたのだった。ペリーは、宗教的なくだりに納得するものは感じなかったが、自分を「友人」として署名してくれたことに感謝した。
後の公判のとき、被告側の証人として出廷してくれたカリヴァンに言った。
「きみはわたしのために、きみのいうところの神さまってやつがしてくれたより、また、これから先、してくれるだろうことより、もっとたくさんのことをしてくれたんだ。わたしに手紙をくれたり、〝友より″と署名してくれたりしてね。わたしには友だちなんかなかったんだよ──ジョー・ジェームズを除いたらな」
ディックは外見上、誰の目にも並外れて悩みのない青年のように見えた。しかし内面では、彼は「でっかいブランコに乗ること」を避けるため、ありとあらゆる手段を取ろうと考えていた。針金を研ぎ、「懐剣」をつくり、保安官代理の両肩胛骨の間の致命的なポイントに突き刺し、脱獄しようと計画をめぐらした。しかし、保安官が全独房を捜索し、懐剣を探し出す。
ペリーも脱走を考えた。独房の下の広場でよく見かける二人の若者が手伝ってくれるのでは、と思いをめぐらした。しかし、自分の狂った頭がつくり出した幻影であるかもしれないと考え、断念し、自殺を考えた。
3月22日、公判がはじまる。前日、精神病医のミッチェル・ジョーンズ博士が彼らと個別に面接した。
公判にはジョー・ジェームズも来てくれた。ワシントン州ベリンガムの荒野の家から一日と二晩の旅をして、その日の朝にバスで到着した。
ペリーの証人たちは、被告について多少とも有利な証言を述べたが、検察側はこの種の個人的な証言は「無益で、筋違いで、取るに足りない」ものであると主張し、彼らの発言を停止した。
ジョーンズ博士も証言台に立った。ヒコックは犯行当時正邪の区別がついたとこたえ、詳細な説明をしようとしたところで、検察側が異議を唱え、それ以上話せなかった。
スミスについては、正邪の区別をつける能力があったかどうかについての意見を持ってないとこたえたが、その理由の説明はやはり検察側の異議により却下された。
もし説明が許されたなら、ジョーンズ博士はつぎのように証言したであろう。
彼の幼少時代は、両親の側における残忍性と関心の欠如が目立っている。彼は指導と愛情を受けず、道徳的価値についての固定した感覚をなんら吸収することなく成長したように思われる。
彼の個性における二つの特色がとくに病理学的なものとして目立っている。第一は、世間にたいする彼の〝偏執狂的な″指向。彼は他人にたいして猜疑心と不信感を抱き、他人は自分にたいして差別待遇をすると感じる傾向を持ち、また、他人は自分にたいして不公平であり、自分を理解していないと感じている。他人が自分にたいして行う批判には過度に敏感であり、人からからかわれるのにはがまんができない。彼は他人が口にする事柄のうちに侮蔑とか侮辱とかいったものを鋭く感じとり、しばしば善意の言葉を曲解することもある。
他人の意図とか感情とかを評価するに当って、真実の姿を自分の心理的投影から分離する能力がきわめて乏しい。彼がすべての人間を偽善的で、自分に敵意を抱き、したがって彼が彼らにたいしてなしうるどのような仕打ちにも値していると十把一からげに考えることも珍しくない。
第二の特徴は、それはいつでも存在していて、うまく抑制のできない憤り。他人にだまされたり、さげすまれたり、劣っているとレッテルを貼られたと感じるとわけもなく激発する。
彼の怒りの不釣り合いの力と、それを抑制したり、適当の方向に向けたりする力が欠けていることとは、個性構造の基本的な弱点を反映している。
彼の思考のあるものは、〝魔法″的な性質と、現実無視を反映することもある。
彼はこれまで他の人間と密接な感情的関係をほとんど結んだことがなく、たとえあっても、それは小さな危機にも耐えることができなかった。彼は非常に狭い範囲の友人以外の人たちにたいしては、ほとんどどのような感情をも示さず、人間の生命というものにたいしてほんとうの価値をほとんど認めていない。
このように遊離した感情とある方面にだけ見られる柔和さとは、彼の精神の異常性を示すもう一つの証拠である。さしあたり現在までに判明した個性構造についていえば、それは偏執狂的精神分裂の反応を示す構造にきわめて近いものといえる。
したがって、精神医学的評価ができる精密な診断が必要だと思われる。
また、法廷精神医学の分野において広範囲の尊敬を集めているジョーゼフ・サテン博士は、ヒコックとスミスに綿密な診察を行ってから、次のような意見を述べている。
もし二人の犯人の間にある種の摩擦が作用しなかったら、この犯罪は行われなかったであろうが、殺人は本質的な意味ではペリー・スミスの行為であり、「一見動機の認められぬ殺人──個性解体の研究」で述べているようなタイプの殺人者を代表している。
その論文によると、
幼いころ、はげしい感情的な剥奪が行われ、極端な暴力に関連した経歴は、子供がまだそれを征服できる以前に、圧倒的な刺激にさらされることは、自我形成における初期の欠点や、後期における衝動抑制のはげしい撹乱に密接に結びつく。
このような人間は、自我制御においてはげしい錯誤におちいる傾向があり、そのため今は無意識になっているが以前受けた外傷的経験から生れる原始的暴力を公然と表現することを可能ならしめる。
攻撃的エネルギーの過重を担っているか、ないしは、かかるエネルギーの露骨にして原始的な表現を定期的に許すような不安定な自我防衛組織を持っているか、という意味で、殺人癖を持つものと考えることができる。
殺人の可能性は、将来の犠牲者がある過去の外傷性形態において中心的人物であると無意識に感知される場合──とくに、もしある種の不安定感がすでに存在していれば──活性化されうるのである。この人物の行動、いな単なる存在ですらも、力の不安定なバランスに重圧を加え、とつぜん、暴力の極端な発散という結果を生み出すことになるが、それは雷管がダイナマイトの発破薬に点火するとき起る爆発に似ている。
無意識の動機づけという仮定があって初めて、なぜ殺人者が無害にして比較的未知の犠牲者を、攻撃にたいする挑発的な、したがって適当な標的だと感知するかの説明がつく。
現実接触における大きな欠陥と緊張が高まり、解体が行われる時期における衝動的抑制の極端なる弱さとの素地をあらかじめ持っていたのである。そこで、〝古い″葛藤が再度活性化され、攻撃がたちどころに殺人の大きさにまで高まる。犠牲者は殺人者の無意識な葛藤の中にはまり込むことによって、心ならずもその殺人的潜在力を活動させるのに役立つ。
裁判と陪審員による死刑決定。裁判長から判決がいいわたされたあと、二人は大声で笑った。
マイヤー夫人は、独房からペリーの泣き声を聞いた。
刑務所に連れて行かれたあと、ペリーがかわいがっていたリスが独房にしょっちゅうくるが、マイヤー夫人が餌をやろうとしてもなつかなかった。
1960年5月13日執行予定から、再審請求やヒコックの不服申し立てにより5年が過ぎて、1965年4月14日、リチャード・ユージーン・ヒコックとペリー・エドワード・スミスに絞首刑執行。カポーティも立ち合う。