Ⅲ 解答
クラター家のことを刑務所でディックに話したフロイド・ウェルズの告白によって、KBIは犯人ディックとペリーにたどり着く。
二人の写真をみたデューイーの妻マリーは、ペリーに対して、傲慢な面構え、しかし凶悪とはいいきれない、繊細だがひねくれてもいると言い、ディックに対しては、ぞっとするほど犯罪者的と言っている。
KBIの捜査官に、ディックの近所の人は、ディックの母親は納屋のような大きな心の持ち主だが、ディックは詐欺師の悪党だと言う。
二人はカリフォルニアからネバタ、ワイオミング、ネブラスカ、アイオワまでヒッチハイクし、カンザス・シティーに舞い戻る。
ペリーは「気違いわざ」と反対するが、ディックはカンザス・シティーこそ、彼が「相当数の偽小切手」を切れる唯一の場所だと言い、まる一日滞在し十分な金を掴んだら、マイアミでクリスマスを過ごそうと説得。
KBIは小躍りして走査線を敷くが、取り逃がしてしまう。二人はマイアミからカリフォルニアに向かい、そして、ラス・ヴェガスで捕まる。
カンザス州の4人の特別捜査官は千マイルも離れたラス・ヴェガスに、逮捕された二人の取り調べと護送のためにやってくる。
二人に対する長い尋問がはじまる。
ディックは、証拠となる二人の靴を見せられると、両手で頭をかかえていた姿勢をゆっくりとまっすぐにすると、「ペリー・スミスがクラター一家を殺したんです。ペリーがやったんです。わたしには止められなかった。やつが全部殺したんです」と言う。
ペリーはこの時点では、犯行に加わったことを、確認も否認もしていない。
ホルカムの女郵便局長は、このニュースをラジオで聴いた後、記者に、まだほかにも関係した人間がいるんじゃないかと感じている人もいると語っている。「七週間にわたって、けがらわしい噂、すべての人間にたいする不信と疑惑、の中で暮してきたホルカムの住民の大多数は、殺人者が自分たちの中の人間ではなかったと聞かされたために、失望を感じたらしい」
ラス・ヴェガスからカンザスへ護送。1台にはデューイーともう一人の捜査官とペリー。もう1台にはディックと2人の捜査官。
アリゾナのハイウェイを疾走しながら、デューイーはペリーが何らかの反応をするとは期待せずに、「きみは生れつきの人殺しだって、ヒコックはいうんだよ。きみには人を殺すことなどちっとも気にならんて、いうんだな。彼の話によると、あのラス・ヴェガスで、きみは自転車のチェーンを持って、黒人を追っかけ、それでその男をなぐり殺しちまったってさ。面白半分に」と言うと、驚いたことに苦しげに息をのみ、「あのごろつきめが!」と吐き出すように言う。そして、「今までの話は、みんなトリックだと思っていた。信じてなかった。ディックがしゃべったことなんかを」と言った。
ペリーは起ったことのすべてを包み隠さず話す。クラター氏とケニヨンは、自分が殺したが、ナンシーとボニーは、ディックが殺したと。(しかし、調書にサインをする段階で、ペリーは自分が4人すべて殺したと、言をひるがえす。ディックの母親を悲しませたくないからと。)
ディックから手紙を受け取った。うまい仕事を計画している。カンザスに帰ってきて、やつの相棒になって仕事をするようにと。
ディックはカンザス・シティーのバス停まで迎えにきてくれ、両親のいる農家へ連れて行ってくれた。だが、わたしは招かれざる客だった。わたしはすぐピンとくるたちで、いつも他人の気持がよくわかるんだ。それでホテルへ行って、そこで計画の全容を聞いた。クラターさんは巨額の現金を金庫に入れている。それは1万ドルを決してくだらない。計画というのは、その金庫から金を盗み出し、証人は一人も残さない、というもの。
その当時、正直いって、ディックを信用していた。あいつがとても実行力のある、男性的タイプだと思えたし、その金は、わたしもやつに劣らずほしかった。それを手に入れて、メキシコへ行きたかった。
そして、ことの経緯を──クラター家に到着するまで、クラター氏とのやりとり、どのように4人を殺害したのかを詳細に語る。
金庫なんか一つもないとわかったとき、ディックはすなおに認められなかった。やつは、これからあの人たちを縛りあげて、それからゆっくり時間をかけて探そう、といった。やつはとても興奮していて、こっちのいうことなんかに耳をかさなかったね。みんなを殺すも生かすも自分の自由だというすばらしさ──こいつがやつを興奮させていたんだね。
そのとき、わたしたちの間の感情は険悪になっていました。わたしがそれまでやつを尊敬し、あんな大ボラをみんな真に受けていたと思うと、腹の中が煮えくりかえってきました。やつに、自分がいかさまで、臆病者だということをみとめさせよう、というつもりだった。いいですね、こいつはわたしとディックとの間の問題だったんですよ。
わたしはクラターさんのわきに膝をついた、そのときの膝の痛み──それからさっき拾った1ドルをおもいだした。たった1ドルの銀貨。恥辱と嫌悪。しかも、あいつらはわたしに、二度とカンザスへは戻って来るな、といいやがった。しかし、わたしはその音が耳にはいるまで、自分が何をしたのか気がつかなかった。まず誰かが溺れかかったような声がした。水中でわめくような声。
わたしはあの人に危害を加えたくなかった。あの人はとてもりっぱな紳士だと思った、話し方の穏やかな。わたしは、あの人の喉をかっ切る瞬間まで、そう思っていましたね。
その後、十マイル以上も、三人の男は口をつぐんだままだった。
デューイーの沈黙の底には、悲哀と深い疲労があった。クラター一家4人の苦しみが忘れられなかった。にもかかわらず、彼は隣席にすわっている男を、憤りの気持なしに──むしろ、いくぶんの同情心をすらもって──眺めることができた。というのも、ペリー・スミスの半生は、バラのしとねとはほど遠く、憐れむべきものであって、一つのはかない幻からまた別のはかない幻へと進んでゆく、醜く、孤独な道程だったからだ。しかし、デューイーの同情も、赦免と慈悲を容れるほど深いものではなかった。彼は、ペリーと相棒が絞首刑になるのを見たいと願った。
1960年1月6日夕方のガーデン・シティーは、護送されてくる二人を見ようと、報道陣と群衆でごった返していた。
「リンチをしようと群衆が集まっている」と中央の新聞は報じていたが、誰も信じていなかった。ただ罵声が浴びせられるくらいはあるだろうと、思われていた。しかし、郡衆は犯人たちの姿を見たとき、この二人が人間の形をしているのを発見して驚いたとでもいうように、みんな一様に口をつぐんだ。